『オリジナル』


 紙ヒコーキ







 すっかり暗くなってしまった空を見上げつつ、彼は家路を急いでいた。
 特に用事があるわけでもないが、この冬の寒空の中ゆっくりとしていようとは思えなかった。
 白い息を吐きながら自転車のペダルを踏み、いつもより早く自分のアパートへつく事ができたからだ。
「あれ?」
 自転車を駐輪場に置き、自分の部屋へ向かっている時に彼は気付いた。
「誰かいる」
 彼の部屋の前に誰かがいた。よく見てみると、その人物は立っているわけではなく、ドアへと寄りかかる形で座り込んでいた。
 彼は迷惑だと文句でも言ってやろうと近づいた。が、言えなかった。
 その座り込んでいる人物は、見た目13歳くらいの少女だった。
 しかし、彼が何も言えなかったのはそれだけではなかった。少女は目を閉じて、気を失っているようだったからである。
「おい、こんな所で寝てると風邪引くぞ」
 彼はそう言いながら少女の肩を揺らす。反応はない。
「困ったな……」
 放っておく事はできなかった。こんな所にずっと居たら、凍えてしまうだろう。それになにより、このままでは自分も部屋に入れない。
「しょうがないな」
 彼は部屋の鍵を開け、少女を腕に抱えて部屋の中へと入った。


 彼は部屋の中に入ると、とりあえず少女をベッドの上に寝かし、湯を沸かした。
「う、うー……ん」
 湯飲みに熱い茶を入れていると、少女がうめくような声を上げた。
 彼がベッドの横まで移動すると、ちょうど少女が目を開ける所だった。
「おはよう」
「う、ん。おはよう……」
 彼が挨拶をすると、少女は特に驚くでもなく挨拶を返してきた。
「身体が冷えてるだろ? 今熱いお茶入れたから飲みなよ」
 彼が茶の入った湯のみを差し出すと、少女はしげしげと湯飲みを見つめていた。
「どうした? 飲んでもいいよ」
「ありがとう」
 少女はお礼を言ってから、湯飲みを両手で持ってふーふーやりながら飲みはじめた。
 彼はその様子をしばし眺めていたが、唐突に口を開いた。
「あのさ、聞きたい事があるんだけど、いいかな」
「ん、何?」
「どうして、家の前で気を失ってたんだい?」
「気を、失う……?」
「そう。ドアによりかかってさ」
「……」
 少女は彼から湯飲みの中に視線を移した。湯飲みの中にはまだ半分ほどお茶が残っている。
「わからない……」
「分からない?」
 少女が頷く。
「どうして?」
「わからないの。よく、覚えていない……」
「何も覚えていないのか?」
「今起きる前までの事、どうしてか思い出せない」
 少女の声が沈む。
「……ま、いいや。それ飲んだらもう少し休んでていいよ」
 怪しいと思わなかったわけではない。しかし、もう既に彼は、この少女の好きにさせてやろうと思っていた。




「あの、これなんですか?」
 それから少女は1時間ほど眠っていたが、目が覚めたのか、上半身をベッドから起こしていた。
「ん? ああ、アルバムだよ。昨日の夜荷物を整理しててね。出てきたから見てたんだ」
「私が見てもいい?」
 少女が遠慮がちに聞いた。大分体も温まったのか、先程までとは違い、頬に赤味がさしている。
「別にいいよ」
「ありがとう」
 少女はゆっくりとアルバムをめくり始めた。
「これは、生まれた時からから13歳の時くらいまでの写真が入ってる」
 彼はベッドの端に座り、写真の説明を始めた。
 少女がゆっくりとページをめくっていき、説明を求めたり、彼自身が懐かしく思っている写真の時に思い出話を語る。
「あれ?」
 とあるページで少女の手が止まった。 右側のページに写真は一枚だけしかない。ここで最後のようだ。
 少女の目はその最後の写真に釘付けになっていた。
 その写真には二人の人物が写っていた。一人は13歳の彼。そしてもう一人は彼と同じくらいの歳の少女が並んで立っている。
「その女の子? その子はさ、幼なじみなんだよ。物凄く仲が良くてね、小さい頃からよく一緒に遊んでたんだ。実はその子が写ってる写真もっとあったんだけど、なんか恥ずかしくってさ、アルバムにはそれしかないんだ」
「そうなんですか」
 少女はまだその写真を見つめている。
「うん、久しく会ってないけどね。懐かしいなぁ」
「……」
 少女はアルバムを閉じようとした。すると、その閉じる瞬間にアルバムの一番最後の辺りから一枚の紙が落ちてきた。
「これは……?」
 少女がその紙を拾い上げる。古い物なのか、少し黄色く変色していたり、端が破れていたり、部分部分に薄らと折り目がついていた。
「ああ、それ紙ヒコーキ」
「紙ヒコーキ?」
「そう。ちょっと貸してくれる?」
 少女は彼に元紙ヒコーキの紙を手渡した。
 彼は、その紙を折り目にしたがって、折り始めた。
「昔さ、その最後の写真に写ってた女の子とよく飛ばして遊んでたんだよ。特に小学校の頃かな。その子の作る紙ヒコーキって上手でさ、物凄く奇麗に飛ぶんだ。やり方を教えてもらったりしたんだけど、どうもうまくいかなかったな」
 少し破れていたりしたので不完全ではあるが、紙ヒコーキが元の姿を取り戻した。
 彼は手首のスナップを使って紙ヒコーキを投げた。
 手から離れたそれは、ヒョロヒョロと無様な飛び方を見せた後、墜落した。
「さすがにもう駄目だね。ちょっと破れちゃってるし、皺になってる所もあるし」
 彼は少女に肩をすくめてみせた。
 少女は少し考えるような素振りをした後、彼に言った。
「あの」
「ん?」
「作ってみませんか?」
「何を?」
「紙ヒコーキ」




「よし、できた!」
 二人がルーズリーフを使って紙ヒコーキを作り始めてしばらくして、彼が声を上げた。どうやら完成したようである。
「飛ばしてみて?」
 少女の方の紙ヒコーキはまだ途中だったが、手を止めて彼に言った。
「おう」
 彼は元気良く返事をすると、少しだけ慎重に、手首のスナップを利かせて、投げた。
 彼の手を離れた紙ヒコーキは、初めは奇麗な軌道を描いていたが、途中失速しながら壁に当たって落ちた。
「あらら。やっぱり駄目だな。折り方はこれであってるはずなんだけどなぁ……」
「クスクス」
「あ、ひでぇ。笑ったな。そっちも早く作ってくれよ。今度は俺が笑ってやる」
「ちょっと待ってね」
 少女は再び作業に戻った。
 彼はその様子を見ながらふと、どうしてこんな事してるんだろう。とも思ったが、何故かこの状況に心地良さも感じていたので気にしない事にした。
 しばらくして、少女の紙ヒコーキが出来上がる。
「じゃあ、飛ばしてみるよ」
「ああ」
 少女はゆっくりと振りかぶって、ゆっくりと前方に投げた。奇麗な軌道を描いて飛んでいく。
「へえ……」
 やがて、先が壁にあたり、ストンと落ちた。
「上手いもんだな。どうしてそんなに奇麗に飛ぶんだ? 今見ていた感じだと、同じ折り方をしていたようだけど」
「少しね、コツがあるの」
 少女は立ち上がり、彼が投げた方の紙ヒコーキを拾って戻ってくる。そしてそれを元の一枚の紙に広げた。
「うーんと、ここをね、もう少しこっち側の比率を増やすといいと思うよ。あとは、いいと思う」
「ホントか?」
 少女はうん、と首を縦に振る。
 それを見て彼は新しいルーズリーフを取り出し、少女の言った事に注意しながら丁寧に紙ヒコーキを作り始めた。少女はそれを後ろから微笑みながら見つめていた。
 ほどなく、新しい紙ヒコーキが出来上がる。
「それで、多分大丈夫だよ」
「よし、じゃあ飛ばしてみるか」
「ゆっくり投げてね。ここ部屋の中だから、強く投げるとちゃんとできてるかどうか分からないよ」
「分かってるって」
 彼は右手に先ほど作ったばかりの紙ヒコーキを持つ。
 一つ深呼吸。
「よし」
 右手を肩の上に持っていき、ゆっくりと前へ押し出す。腕が伸び切る直前に指を開き、離した。
「お」
 その前に彼が作った物とは違い、とても安定した飛行を見せた。途中失速する事もなく、奇麗な軌道を描く。
 そして、そのまま部屋の壁までとんでゆき、先ほど少女が作ったものと同じように、壁に当たって、ストンと落ちた。
「凄いよ! こんなにうまくできたの初めてだよ。ありがとうな!」
 彼は多少興奮しながら少女の方を振り向いた。
「……」
 その部屋にはもう彼の他には誰も居なかった。












 数日後、彼はとある墓地にいた。
 彼は、途中の駅で買った花を備え、一つの墓石の前に膝をつく。
 まだ朝も早いためか、肌寒い。
 彼は目を瞑り、手を合わせた。そのまま動かない。
 それは永遠に続くかのように思われた。そのように思わせるほど、彼のその姿には真剣さが感じられた。
 数分が経つ頃、一瞬風が強く吹いた。
 目を開く。
 立ち上がり、彼は空を見上げた。空は晴れ渡り、雲一つない。天気予報では一週間ずっと晴れ続きだ。
 空を見上げるうちに彼は、思い出したかのようにポケットに手を入れ、何かを取り出した。
 それをゆっくりと振りかぶる。
 そして、青空に向かって、投げた。

 彼は、どこまでも飛んでいくそれを、ずっと見つめていた。









back top


inserted by FC2 system