『KanonSS』


 ショコラ







 朝の日差しに目を細めながら勢いよく窓を開け、空を見上げる。
 その空は快晴。雲の一つも見つける事ができないほど青い青い空が広がっている。
 制服のリボンを揺らす風は2月のものらしく冷たく、露出した顔や手に当たる空気は、意識と身体を引き締めていくようだ。
 一つ深呼吸をし、窓を閉める。そろそろ学校に行かなければならない。
 机の上に置いておいた学生鞄を手に取る。その際に視界の隅にちらっと見えてしまったもの。
 何を考えるでもなく、ボーッとそれを見つめる。
 ……それをいつまで続けていたのか。部屋の外から自分の名前を呼ぶ声。もう家を出なければならない時間だ。
 呼びかける声に返事をして、また視線をそれに戻す。自分の意志とは無関係のように手は動き、それを掴んだ。
 手に取ったそれを、眺める。それから、少しだけ自嘲的な笑みを浮かべて、それを学生鞄の中へとしまった――――






 
〜 ショコラ 〜







「では、今日はここまで。ちゃんと復習しておくように」
 そう言っていつものように教師は少しばかり早足で、鳴り響くチャイムと共に教室を出て行く。
 俺はそれを見ながら、やはり教師でも昼休みは大事なのであろうなぁ、などと思ってみる。
「ゆういちー、お昼休みだよ」
「ああ、そうだな。もしこれで『朝のHRだよ』、とか言われたら思わず机に頭突きをかます所だ」
 これもまた毎回のように繰り返される従姉妹の言葉に冗談で返す。
「今日はお昼御飯どうするの? またあの先輩達と?」
「まあな。せっかく待ってくれてるんだ。いかないと人間として不出来だろう」
 言いつつ立ち上がる。きっともう既にあの2人はいつもの踊り場で待っているのだろう。
 いつもの様に、自分が来るまで弁当に手もつけず。
「あ、ちょっと待ってよ祐一」
「なんだ?」
「はい、これ」
 と、唐突に名雪の手から渡されたもの。それは奇麗にラッピングされた――
「今日はバレンタインデーだからね。それは祐一にだよ」
「あ、ああ。サンキュな、名雪」
 少しばかり照れつつ貰ったそれを机の中へ。他のやつに見られたらどれだけ冷やかされるか分からない。
 ……今の声の大きさだと、近くのやつには聞こえてしまったかもしれないが。
「にしても、今じゃなくて、家で渡してくれても良かったのに……」
 照れ隠しにそんな事を言ってみる。
「だめだよー。こういうのは学校で渡さないと雰囲気がでないんだよ」
「そうか?」
「そうなの。じゃあね、祐一」
 嬉しそうな顔で「Aランチ、Aランチ」などと妙な歌を歌いながら、待たせていたらしき香里と北川と共に教室から出て行く名雪。
「なんなんだ、いったい」
 訳が分からないけど、まあいいか。
 あまり待たせるのも悪いので、俺も急ぎ足で教室を後にした。




「よっ! お待たせ、お2人さん」
「こんにちはー、祐一さん」
 いつもの場所へと到着した俺の挨拶へ、にこにこ笑顔で返してくれる佐祐理さん。やっぱりこの笑顔には癒される。
「祐一、遅い」
 そして、無表情の舞。こちらはもうちょっと愛想よくしても良いと思う。
「悪い悪い、ちょっと友達に捕まっちゃってさ」
「あれ? 祐一さん、もしかして女の人ですか?」
 シートの上に座り込む俺に、いたずらっぽい笑みを浮かべながら聞いてくる佐祐理さん。最近この人はこういう表情もするようになって、正直、困る。
「ん、ああ。まあね……」
 嘘を言ってもこの人にはすぐばれてしまうので、正直に答えておく。
「もう、祐一さんモテモテですねー」
「……」
 ああ、だから、その笑顔でそういう事を言われると、こっちは何も言い返せないじゃないか。
「舞も負けてられないね」
 と、舞の方にも話題を振って、いつものように『ぽかっ』とチョップを受けて「あははーっ」と笑っている佐祐理さん。平和だ。
「そうだ、お昼御飯の前に渡しておきましょうか。ね、舞?」
「わかった」
「ん、何?」
 もちろん、薄々と何の事か分かっているが、ここではとぼけておくのが華だろう。
 そして、2人して持ってきていた鞄の中を開ける。目的のものはすぐ見つかったようで、大事そうに取り出された。
「ではどうぞ、祐一さん」
 差し出されたそれは、名雪から貰った物と同じように奇麗にラッピングされた小さな箱だった。舞が赤色で、佐祐理さんのが青色を基調に包装されている。おそらく中身はチョコレート。
「あははーっ、今日はバレンタインデーですから、祐一さんにプレゼントです」
「祐一、受け取って」
「おう、もちろん受け取るぞ。2人とも、ありがとうな」
 自分の顔の温度が上昇したのを感じつつ、2人から受け取る。
「舞ったら手作りがいいんだって、佐祐理の所までどうすればいいか聞きに来たんですよ」
「お、そりゃあいい。昼飯食べ終わったら早速頂いてみようかな」
 その言葉に照れた舞のチョップを貰いつつ、本日の昼食は開始となった。




「さて、では今日のデザートといきましょうかね」
 ぱんっと手を合わせて、今日も美味だった佐祐理さんの弁当への感謝の気持ちを表しつつ、先ほど舞から渡された箱を手に取る。
 そして、破れない様に包装を丁寧にはがしていく。いつもならば破ってしまうが、目の前に送ってくれた人物がいるのだ。さすがに気がとがめる。
 ゆっくりとした俺の様子を、舞は真剣に、佐祐理さんはいつもの「ほぇほぇーっ」とした笑顔で見つめている。
 やがて包まれていた白い箱が姿を現す。
 3秒ほどそれを眺めた後、思い切って蓋を開けた。
「……」
 今度は10秒ほど何も考えられずに沈黙。
「祐一?」
 動かなくなった俺に、舞が訝しげな視線を投げかけてくる。その視線に、はっと我に返る。
「あー、えっと……」
 目の前にあるものを、間違いがないようにじっくりと見つめ、呟く。
「ウサギ?」
 何の疑問も挟む余地もなくウサギだった。何がウサギだったのかは言うまでもなく。
「そう。うさぎさん」
「舞はウサギさんが好きなんだよねー」
 佐祐理さん、そういう問題なのでしょうか。
 箱の中に入っていたチョコレートは、まごう事なきプリティなウサギの形をしており、その瞳は真っ直ぐとこちらを見つめていた。
「祐一、食べないの?」
 まだちゃんと動いていない脳味噌が、舞の言葉で再び回転を始めた。
「あ、ああ。食べるよ」
 良く考えればこれはこれで物凄く舞らしいものではないかと考え直してみる。この際、いったいどうやってこの形にしたのかなどという疑問は置いておく事にしよう。
 しかし、ここまで可愛い感じに作られた物を食べるために壊すのはなんとなくためらわれる。といってもこのままウサギとにらめっこするわけにもいかないので、ちょっとだけ罪悪感を覚えながら耳の部分をパキッと折り、口に運ぶ。
 口の中に広がる程よい甘さ。甘いものはあまり好きではないが、この種類の甘さならばかなりいける。
 まるで判決を待つ被告人のような顔をしてこちらを見ている舞に、一言。
「うまい」
 それを聞いて、舞の顔に漂っていた緊張感らしきものが霧散した。
「よかったねー、舞。祐一さん美味しいって言ってるよ」
 その言葉に耳まで真っ赤にしてぽかぽかと佐祐理さんを叩いている舞を眺めながら、最後まで食べきる。
「ごちそうさま、美味しかったぞ、舞」
 じゃ、次は佐祐理さんのやつかな。さすがに昼飯を食べた直後にチョコをこれだけ食べるのはちょっとばかしキツイが、こうしないと不公平ってものだろう。
 舞の物と同じように、ゆっくりと包装紙をはがしていく。まだ佐祐理さんと舞はじゃれあっているようだ。
 そして、中から現れたのはまたもや舞とは対照的な市販ものの黒色の箱だった。蓋を開けてみると、どことなく高級感の漂う一口サイズの生チョコが6つ入っていた。
「ふむ」
 などと言いつつ、一つ食べてみる。まぶされたココアパウダーの風味の後に、生チョコ特有の舌の上で溶けていく食感が何とも美味。うーん、これって高級品なのではないだろうか。
「……」
 ふと気付くと、舞が佐祐理さんとじゃれるのをやめて、じっと箱の中のチョコを睨んでいた。
「どうした? 舞も食べるか?」
 ふるふる、と首を横に振る舞。しかし視線はまだチョコレートの方へ一直線。
「舞、祐一さんもああ言ってるんだから、食べてもいいんだよ。みんなで食べた方が楽しいよ?」
 その言葉に反応して、今度は佐祐理さんのほうをじっと見詰める舞。佐祐理さんにもその意図がよく分からないらしく、首を傾げている。
「……わかった、そうする」
 溜め息をつくように息を吐いた後、舞はこちらに手を伸ばし、一つチョコを掴んで口に運んだ。やはり食べたかったのだろうか。
「ほら、佐祐理さんも食べないと」
「はい、ではいただきますねー」
 俺に促されて、佐祐理さんも一つ手に取った。元々佐祐理さんが用意したものなのだから、いただきますねー、というのもなんか違うような気がしたけど。
 三人で食べているので、6つあったチョコは割とすぐになくなった。チョコがなくなると、弁当箱や、広げられたシートなどを片づける。
「んでは、教室に戻りますか」
「あ、ちょっと待って祐一」
 片づけが終了し、戻ろうかとすると、舞が引き止めてきた。
「なんだ?」
「どうしたの、舞」
「佐祐理は先に教室に帰ってて。少し祐一に話したい事がある」
「うん、分かった。先に戻ってるね。それでは祐一さん、また」
 佐祐理さんは俺に向かってぺこりとお辞儀をした後、リズミカルに階段を降りていく。
「……で、話って何なんだ、舞。俺も時間はあまりないぞ」
 そう言って舞の方へ正対する。舞は一つ頷いたのち、真摯な眼差しで口を開いた。
「話っていうのは――」




「祐一、放課後だよ」
「ああ……」
 従姉妹の声に気のない返事を返す。ちなみに午後の授業の記憶はまったくない。考え事をしていたら何時の間にか放課後になっていた。
「祐一?」
「ん、どうした? 名雪はこれから部活だろ」
「そうだけど……」
「んじゃ、とっといかないと後れるぞ」
「うん……祐一はどうするの?」
「そうだな、ちょっと寄り道して帰る」
「わかった、じゃあね、祐一」
「ああ」
 駆け足で教室から出て行く名雪を見送る。教室にまだ残っているほかの生徒も、次々と教室から去っていく。
 さて、そろそろ行きますか。
「あ、なんか緊張してきた……なんでだろ」
 平常時よりも早くなっている鼓動を押さえるように、立ち上がる。
 まだ教室に残っていた友人に、別れの挨拶をしてから教室から出た。
 廊下を歩く中、頭の中は一つの事だけでいっぱいだった。
 昼休みが終わってからずっと考えていた事。最初は何でもない事だと思っていたのに、考えれば考えるほど落ち着きを無くしている自分が不思議だった。
 そして、昇降口で靴に履き替えながらこれからの行動を頭の中で反芻する。心臓の鼓動は、収まってくれそうもない。
 グラウンドで準備運動をしている運動部のやつらを横目に見ながら校門へ。
 校門の側には、誰かを待っているのか、下校していく生徒達の波から少し外れて一人の女生徒が立っていた。
 その人物がこちらに気付く。
「あ、祐一さん。こっちですー」
 笑顔で手招きしているその人物に、俺は駆け寄る。
「や、佐祐理さん。待たせちゃったかな」
「いえ、佐祐理も今来た所ですから。それで、佐祐理に話ってなんですか?」
 その笑顔を見て、鼓動が更に加速した。それを持ちうる力すべて使って隠しつつ言葉を紡ぐ。
「佐祐理さん、これから時間あるかな?」
「はい、大丈夫ですよ」
「じゃあ、俺とデートしよう」
「はぇ?」
 佐祐理さんは少し驚いたように目を丸くしている。こんな風に驚いた表情は、初めて見た。
「そんなに時間はないかもしれないけど、今日は2人っきりで遊びまわりたいんだ」
 2人っきりで、を少しだけ強調して言う。
「だめかな?」
 佐祐理さんはしばらく俺の顔を見つめていたが、元の笑顔に戻る。
「はい、構いませんよ。今日は祐一さんとデートですねー」
 そう言って、楽しそうにくすくすと笑う。
 その笑顔がなんとなく眩しくて、目を逸らしてしまう。多分、今俺の顔は真っ赤になっているだろう。まったく、らしくない。
「なら、時間がもったいないですから、早く行きましょう!」
 そんな俺の心境を知ってか知らずか、佐祐理さんは俺の手を取って引いていく。
 そのうちに俺も落ち着いてきたのか、色々と考える余裕ができてきた。
 手を引かれながら、こういうのも悪くないな、と思う。気になる事はあるが、ここは楽しんでもバチはあたらない気がした。
 俺はふっと笑みを浮かべてから、自分を引いていく佐祐理さんの手を握り返した。






「佐祐理さんの事?」
 教室に戻ろうとしたのを引きとめられた後、舞の口から出たのは佐祐理さんの事だった。
「今、佐祐理は悩んでいる」
「悩んでる? 佐祐理さんが?」
 さっきまで一緒にいた佐祐理さんの様子を思い出すが、そんな様子は感じ取れなかった。いつも一緒にいる舞だからこそ分かる事なのかもしれない。
 そう考えると、少しだけ悔しい。
「うん。だから、祐一は力になってあげて」
「いや、それは当然引き受けるけど。具体的にはどうすればいいんだ? 俺は佐祐理さんが何に悩んでるのか分からないぞ」
 口に出してみると、その事実が重く感じられた。
 舞はそんな俺を見て首を振ってから何故か溜め息をつく。
「祐一は、鈍感」
「は?」
「なんでもない」
 なんでもないって、気になるぞ、そういう言い方されると。
「とにかく……今日帰りに佐祐理を誘ってあげて欲しい」
「誘うって、いつも一緒に帰ってるだろ?」
「そうじゃない。祐一と佐祐理2人でどこかに遊びに行くの」
「2人でってな、デートにでも誘えってか?」
「そう」
 きっぱりと、言い切る舞。
「そう、ってなぁ。……というか、お前はどうするんだ」
「今回に関しては、私だと意味がないから」
 意味がない? どういう事だろう。
「じゃ、佐祐理には校門の所で待っているように言っておくから」
 見ると舞はもう既に階段を降り始めている。
「おい、ちょっと待て」
「祐一、佐祐理の事は任せたから」
 こちらの引き止めは応じず、速度を上げて舞は去っていった。
 踊り場には俺だけが残される。
「佐祐理さんと……デート?」
 俺の呟きと共に、昼休みの終わりを知らせるチャイムが鳴り響いた。






 冬の夕闇の中、俺達は公園のベンチに座っていた。
 佐祐理さんと商店街を色々と話しながら歩いてみたり、ゲーセンに寄ってみて、佐祐理さんの思わぬ才能に舌を巻いたりとしていると、すぐに時間が過ぎてしまった。さすがに平日で授業もあったので、もとより時間に余裕はなかったのだが。
 このデートも終わりに差し掛かり、今は2人でこうやって公園のベンチに座ってなんとなくボーッとしている。
「はー、今日は楽しかったな」
 それは、偽らざる本音だ。今まで佐祐理さんとの付き合いは、あくまで舞を間に挟んだものであって、佐祐理さん個人との付き合いというのはなかったような気がした。
 佐祐理さんの方にしても、いつもよりもはしゃいだ風で、今までになかったこの機会を楽しんでくれいるようだった。
 きっかけは舞の言葉だったが、2人でのデートを楽しめたという事実が、俺にとっては大きかった。
「そうですね……」
 少し沈んだ声の調子に驚いて、横を見る。佐祐理さんは俺の隣に腰掛けて、先程まで浮かべていた笑顔とは程遠い、どこか憂いのある表情で空を見上げていた。
 その表情を見て、先程までの昂揚していた意識は途端に萎えて、胸が締め付けられるような気持ちになった。
 そもそも今回のデートは、佐祐理さんが何か悩んでいるから、元気付けて欲しいという、舞の提案から始まった事だったのだ。思いっきり遊んで、悩みなんて吹き飛んでしまえばいいと思い、何も考えず楽しんでしまったのだが、それは単なる自己満足にすぎなかったのかもしれない。
 そう思うと、どうしようもない自己嫌悪に襲われた。
「佐祐理さん……」
「どうしたんですか、祐一さん?」
 俺の方に顔を向けた佐祐理さんは、穏やかに微笑んでいた。その微笑みが余りにも優しくて、俺は本当なら言うべきではない事を口に出してしまっていた。
「もしかして、楽しくなかった……のかな」
「はぇ? そんな事はないですよ。とても楽しかったです」
 嘘を言っているようには見えなかったけれど、納得はできなかった。
「だって、今さっき佐祐理さん、沈んだ顔してたからさ。もしかして俺、無理に引っ張りまわしちゃったんじゃないかと思って」
「いえ、そんな事はないです。今日は本当に楽しかったですし、祐一さんはまったく悪くありません!」
 佐祐理さんらしからぬ大声に、戸惑う。
「……あ、すみません。大きな声出したりして」
 佐祐理さんはそう謝り、ばつが悪そうに俯いた。俺はその様子を見て、やはり何かあるのだろうと確信する。
「ねえ、佐祐理さん」
 自分でも何を言おうとしているのか分からないうちに、声が出た。
「何か、悩んでる事があるんなら、俺に言ってくれないかな?」
「え?」
「俺は佐祐理さんの力になりたい。本当に困っている事があるんなら、俺に相談して欲しい」
 佐祐理さんは驚いたように俺の顔を見ている。
「俺さ、佐祐理さんのそんな顔、見たくないよ。佐祐理さんには笑顔でいて欲しい」
 そうだ、俺はこの人の助けになりたい。本当にそう思っている。舞に言われたからとか、そういう事じゃない。俺自身の願いとして、佐祐理さんには笑顔でいて欲しい。
「祐一さんは……優しいんですね」
「そんな事ないよ。今日のデートだってさ、元はといえば舞が言い出した事だったんだ。俺は佐祐理さんが悩んでるのを気付く事もできなかった」
「それは……」
 佐祐理さんの言葉を遮り、首を振る。
「それにね、実際、さっきまで佐祐理さんが何かに悩んでるなんて事を途中から忘れて、デートだ何だってはしゃいでたんだよ。けど、それでもさ……」
 その中で分かった事もある。
「俺は佐祐理さんが好きなんだよ。だから、困っている事があったら力になってあげたいし、頼って欲しい」
 言葉にして、確信を強めた。今日のデート中に見た佐祐理さんの笑顔や仕草に、俺は惹きつけられていた。つまり、そういう事なのだ。
 佐祐理さんは頬を染め、どこかぽーっとした表情で俺を見ている。
「ゆ、祐一……さん」
 その声にふと我に返った。
 良く考えたら、俺が今言った事って告白そのものじゃないか。その事実に今更気付き、顔に血が上る。
 恥ずかしくて思わず目を逸らしたくなったが、それは絶対に駄目だと根性でその誘惑をねじ込んで、見詰め合う。
「祐一さん」
「は、はひ!」
 あ、声が裏返ってしまった。佐祐理さんは俺の方を見てクスクスと笑っている。
「顔、真っ赤ですよ」
「そ、そういう佐祐理さんこそ」
「あははーっ。確かにそうかもしれませんねー」
 俺の反撃は笑顔で流されてしまった。それからふと、真面目な顔になる。
「でも、悩み事があるって、バレてたんですね」
「あ、ああ」
「でも、それは祐一さんのおかげで解決しましたよ」
「へ?」
 どういう事だろう。
「それにしても、舞ったら鋭いですね。本当、隠し事なんてできないです」
 俺の疑問をよそにそう言いながら、佐祐理さんは膝の上に置いていた学生鞄を開け、手を入れた。
 そして中から小さな箱を取り出す。
「あれ? それって……」
「はい、本当は渡さないまま終わるんだろうなーって思っていたんですけど」
 佐祐理さんの手の中にあるのは、昼休みに佐祐理さんから貰ったチョコレートの包みとまったく同じ物だった。
 それを俺に手渡す。
「開けてみてください」
「え、いいの?」
「はい、元々それは、祐一さんのために作ったものですから」
 それはつまり、俺のために手作りでって事なのだろうか。そうすると、昼休みのあれは一体なんだったのか。それに、悩み事が解決したっていうのもなんだかよく分からない。
 とりあえず、開けてみる事にした。
 ゆっくりと包装紙をはがしていき、それから中の箱の蓋を開ける。中身は、本当に手作りなのかと疑うほどの出来栄えのボンボンショコラ。
 食べていいものかと佐祐理さんの方を向くと、食べてください、とでも言うように頷いた。
 一つ手に取り、口に運ぶ。軽くかみ砕くと、中に入っていた液状のリキュールが喉を少し熱くさせた。チョコ自体の上品な甘さと、うまくマッチしていた。
「すごいな。ウイスキーボンボンなんて、作れるもんなんだ」
「手間を惜しまなければ家庭でもできますよ」
「ふーん」
 相槌を打って、二つ目を口に含む。
「あのですね、祐一さん」
「ん?」
「さっき佐祐理は悩み事は解決したって言ったじゃないですか」
「うん」
「その悩み事って、それを祐一さんに渡すかどうか迷ってた事なんですよ」
「え、どうしてそんな事で……?」
「遠慮してたんです、舞に」
 佐祐理さんは自嘲気味に笑って、続けた。
「それと、多分こちらの方が大きいと思うんですけど、自分に自信がなかったからでしょうか」
「えっと、それってつまり……」
「祐一さんは言ってくれたのに、佐祐理の方は黙ってるなんて、卑怯ですからー」
 そう言って、「あははーっ」といつものように笑う。
 少し、状況を整理してみよう。
 まず、佐祐理さんは手作りのチョコを俺に渡すかどうかで悩んでいた。そして、舞に遠慮して昼休みには市販のものを渡した。しかし、今俺は本来なら渡すまいと思っていた物を受け取っている。って事は要するに……これって本命?
 俺の思考を読み取ったのか、佐祐理さんがこくんと頷く。
 再びカーッと顔が熱くなっていく。
 佐祐理さんは俺のその様子を見て、最高の悪戯を思い付いたような笑顔になった。
「あの、祐一さん。チョコレート一つ貰ってもいいでしょうか」
 俺は頷くのが精一杯。
「ありがとうございますー」
 佐祐理さんはそう言い、俺の手元から一つリキュールボンボンを取り上げ、口に運んだ。
 そして俺に向かってにっこりと微笑む。
 なんだ、と思う暇もなかった。
 佐祐理さんはスッと俺の方に身を寄せてきたかと思うと、首の後ろに両手を回し、唇を俺の唇へと押し付けてきた。
 目の前には目を閉じた佐祐理さんの顔があって、唇には柔らかい感触。
 緑色のリボンが、2月の風に揺れている。佐祐理さんの髪からは鼻孔をくすぐるような甘い匂い。
 頭の中が真っ白になる。何も考えられない。夢を見ているようにふわふわと浮ついた気分。
 そうやって惚けているうちに、更にとんでもない事が起こった。俺の唇を割って入ろうとする物がある。それが佐祐理さんの舌だと気付いた時には、すでにそれは俺の口内へと進入していた。
 今まで感じた事のない感触と共に、口の中に何かが入ってくる。脳髄にピリッと電気が走った気がした。
 佐祐理さんの舌が俺の口内を蹂躪していく。初めは歯茎を優しく撫でるように動き、次第に奥へ奥へと入ってくる。そして俺の舌の先に触れた。驚いたように逃げようとする俺の舌を、佐祐理さんの舌が追いかけてつかまえる。
 その動きには容赦がない。舌と舌がふれあう時に感じるトロリとした甘みと、鼻に抜けるアルコールの匂いが現実感を伴って際限なく責め立ててくる。
 何度もそれを繰り返すうちに、何時の間にか俺も佐祐理さんの舌に応えるようになっていた。舌と舌が、まるで別の生き物のように絡み付く。
 意識が、飛びそうになる。
 口の中では、俺の唾液とチョコとリキュールと佐祐理さんの唾液がドロドロに溶け合っている。細かい味なんて感じる余裕もなく、俺はそれを嚥下した。
 喉を焼けるような熱さが通り過ぎていく。とてもそれはリキュールだけの効果とは思えない。
 俺がそれを飲み込んだのを確認したのか、ゆっくりと佐祐理さんの顔が離れていく。その表情はどこか恍惚としたものだ。
 見詰め合ったまま、佐祐理さんが口を開く。
「佐祐理も祐一さんの事が好きです。だから、もう遠慮なんてしません。覚悟しておいて下さいね」
 そう言って微笑むと、再び唇を寄せてくる。今度は優しく表面に触れるだけのソフトなタッチ。
 もうどうしようもないくらいに真っ白になってしまっている俺の頭は、それを合図にゆっくりと再起動を始める。
 そして俺の脳味噌は、何時の間にか止めてしまっていた呼吸を再開するよりも先に、揺るがしようのない事実を一つだけはじき出した。




 相沢祐一は、倉田佐祐理に惚れている――――と。











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