『Lの季節SS』


 紅い夕日と紅い髪



 ※ネタバレ注意






 上岡進は思う。この世界は不思議な事で満ちている、と。
 少し前に起こった事件。何故か気になる青い彼岸花。自分の隣で意識を失った友人。それまで知らなかった天羽さんの弱さ。知らなかった、しかし知っていたはずの、星原百合という人物。そして七角ペンダント。
 自分は非日常を望んでいた。退屈な、繰り返される日常。そのような物から抜け出してみたいという願望。もしかしたらそれは、小さな子供が物語りのヒーローに抱く、憧れのような物に近かったのかもしれないけれど。確かに自分は非日常を望んでいた。

 もちろん、その望みが自分を中心として、本当に叶ってしまうとは思ってもみなかったけれども。

 望んでいたはずの非日常は、自分の望まない結果を生もうとしていた。そして気付いた。退屈だと思っていた世界は、本当は様々な色彩に彩られた、とても素晴らしい物だったという事に。
 自分に突如として襲い掛かってきた非日常は、確かにあの日終わった。しかし一つの終わりは、一つの始まりだったのだ。
 前を見る。50mほど先には目的地であるゲームセンター。以前、星原百合に人形を取ってあげた事が思い出される。あの時の彼女は物思いにふけるようにクレーンゲームの人形を見つめていた。
 その時は、「欲しいのがあるのかな?」と思い、普段では絶対に焼かないようなお節介を焼いてしまった。それでも彼女の笑顔を見る事ができ、感謝の言葉を送られたのだから、その選択は間違ってはいなかったけれど。
 しかし、今は分かる。何故彼女が人形を見つめていたのかを。
 上岡は首をめぐらせ、辺りを見渡した。
 今日は土曜日なので授業は午前中で終わる。仲の良い友人と遊びに来ていたりするのだろう、同じ聖遼学園の制服姿もちらほらと見える。
 見慣れている、ブレザー姿と……


 まだ慣れていない、緑色を基調にした変わったデザインの制服。


 当然のようにそこを歩き回っている、様々な種族。物語の中でしか知り得る事のなかった彼らは、日常の一コマとして違和感なく街に溶け込んでいた。
 何故こうなったのかは分からない。ただ、分かっている事は2つの世界が1つになってしまったという事実だけ。
 上岡はまた、皆に迷惑をかけてしまうような事をしてしまったのかと頭を抱えたが、星原は「これはこれで安定しているようです」と言っていた。
 そんなわけないだろ。と、口には出さないものの、心の中では当然のツッコミを入れたものだったが。そもそも、人口が二倍になったのなら、住む場所が足りないだろう。仕事は? 食料は? もしかして地球の表面積も倍になったのか?
 しかし、そんな上岡の疑問など関係ないかのように、特に問題もなく生活をできているのも事実で。夢なんじゃないかと思ってみても、朝起きるとやはりそれは現実で。
 そう、世界は不思議な事で満ち溢れているのだ。改めて上岡はそう思った。
 そして、上岡が今一番不思議な事だと思っているのは、そのような今の世界がどうこうという事ではなかった。今までの常識では考えられないような世界の状態よりも、上岡にとって不思議で仕方がない事。
 それは、少しだけ上気した顔を俯かせながら隣をゆっくりと歩いている、赤毛の少女の事だった。




 
〜紅い夕日と紅い髪〜





 授業もすべて終わり、部室に少し顔を出してから、どこまでも遠く晴れ渡っている空を見上げつつ上岡は一人帰ろうとしていた。
 天羽と星原は一緒にどこかに出かけるらしく、もう既に帰ってしまっていた。上岡は部室で次の記事について考えようと思っていたのだが、何も思い付かないので帰る事にしたのだ。余裕がないわけでもないし。それに土曜だし。
 こんなとんでもない事があった後なのだから、新聞部としてはネタに困らないかもしれない、と思ったものだが、その考えはすぐに否定された。
 この現象が起こった後色々と調べた結果、二つの世界が一つになったという事をちゃんと認識しているのは、事件に深く関わっていた人物だけだった。
 上岡進、星原百合、天羽碧、桐生真、鈴科流水音、舞波優希、氷狩吹雪。この七人だけがすべてを覚えているのだ。他の人物にいたっては、今までも一緒に生活していたという記憶があるらしい。
 そんなわけで、新しく入部してきた星原が一緒という違いはあるが、上岡の新聞部での活動自体は今までと何ら変わりがなかった。
 もし皆に記憶があるのだったら、川鍋部長なんかはそろそろ大学受験だというのに、それはもう嬉々として一日中取材で走り回っていたに違いない。
 少女漫画のように目をキラキラと輝かせながら学園内を走りまわる部長の姿が頭に浮かび、上岡は思わず笑ってしまった。

 今日は特に用事もないし、商店街を少しぶらついて帰ろうかな、などと上岡が思いながら校門を出ようとした時、声をかけられた。
「あの……上岡先輩」
 振り向くとそこには事件の顛末を覚えている数少ない人物の一人、舞波優希が立っていた。
 一番最初に目に付くのは、少々重そうに抱えられた死神族のシンボルである大きな鎌。そして少しだけ潤んでいるようにも見える大きな瞳。リボンで束ねられた深紅の長髪。上岡の世界とは別だった世界の、聖遼学園中等部のセーラータイプの黒い制服。
「あ、優希ちゃんか。どうしたの?」
 声をかけると優希は何故か顔を赤くし、俯いてしまう。上岡はその仕草を見て、初めて会った時もそうだった事を思い出す。

 その時はまだ状況がよく分からず、上岡達が同じ世界にいた人も違う世界にいた人も関係なく聞きまわっていた頃だ。そのままズバリ聞くのは最初の2、3人で懲りたので、ある程度曖昧な聞き方をするようになっていたが。
 そして聞き込みをするうちに、上岡達と同じような事をしている人達がいるという事を耳にした。
 さっそく上岡は自分達と同じ事をしている人物、舞波優希を見つけ(たまたま最初に見つけた)、話し掛けてみたのだが、顔を赤くして俯いてしまったのだ。人と話すのに慣れていないのかな、と上岡が困っていると、少ししてやってきた鈴科流水音が代わりに上岡の質問に答えてくれた。
 その日以降、やはり事件の事を覚えているという共通部分があるので、七人はそれなりに仲良くなっていた。もともと人付き合いの苦手な氷狩はいつも困ったような表情をしていたが。それでも、鈴科や、星原と話している時はまんざらでもなさそうだった。
 仲良くなった後に上岡は出会った時の事を優希に聞いてみた。するとどうやら上岡が新聞部だと自己紹介したので、何かのインタビューかと思ってしまい、緊張してしまっていたらしい。
 上岡はそれを聞いて、可愛いなぁ、と感じた。素直にそう言ってみたら、ゆでだこのように真っ赤になる優希を見て、やっぱり可愛いよなぁ、と思う上岡であった。

「え、えっと……ですね……」
 やはり俯いたまま次の言葉が出ない優希。上岡は不思議に思いながらも次の言葉が出てくるまで待っていた。
「……えっと、その……あの……」
「……」
 しばらくしてから、2人の横を興味津々といった様子の生徒が通り過ぎる。ここで上岡はハッとなった。
 校門の前で男女が2人。しかも女の方は頬を朱く染め、顔を俯かせて何かを言おうとしている。こんな状況を見れば、自分でも愛の告白の途中ではないかと思ってしまうだろう。
 急に気恥ずかしくなった上岡は自分から話を振る事にした。
「あのさ、優希ちゃん、まだお昼御飯食べてないよね?」
「え……あ、はい。まだです」
「じゃあさ、これから商店街にでも行って、何か食べない? 話はそのときにでも聞くよ。あ、それとも家で御飯用意しちゃってる?」
 優希には一人兄がいて、その人がいつも御飯や弁当を作っている。以前、上岡は優希自身からそう聞いたことがあった。
 しかし、その言葉を聞いた優希はバッと顔を上げ、顔を勢いよく横にブンブン振ってから、はっきりとした声で言った。
「いえ、大丈夫です! 私もお供します!」
「う……うん、じゃあ行こうか」
「はい!」
 優希のあまりの変わりぶりに上岡は苦笑しながら先に立って歩き始めた。



 商店街にあるハンバーガーショップ。そこで上岡と優希は昼食をとる事になった。
 上岡はもう少しちゃんとした所に行こうとも思っていたが、今月の経済状況と照らし合わせてみてここに決定したのだ。
 上岡はハンバーガーセットでポテトがL。優希は同じくセットでポテトがSだった。
「優希ちゃんはこういう所あんまり来ないの?」
 なんとなく落ち着かない様子の優希に聞いてみた。
「はい。鈴科先輩にたまに連れてこられるくらいで……。いつもお兄ちゃんが食事の用意をしてくれますし。それに、あまりこういう所には行くなとも言われてます」
「そっか。優希ちゃんのお兄さん、厳しそうだからねぇ……」
 上岡は一度だけ会った事のある優希の兄、舞波聖邪の事を思い起こす。スラッとした長身で、素人目から見ても滑らかに見える身のこなし。そして、獲物を射るような鋭い目付き。自分にはない強さを持った人だった。
「そんなことないですよ! 私には優しくしてくれますし。でもやっぱり他人にはそう見えるみたいですね。桐生先輩も同じような事言ってましたし……」
 うーん、それはシスコンというやつでは? などと上岡は思ってみたが、口には出さなかった。何より優希がとても楽しそうに話していたので。
「それでさ、優希ちゃん。校門の所で何を言おうとしてたの?」
「……」
 またもや、真っ赤になって俯く優希。ボッという効果音が聞こえたような気さえした。
 なんなんだろう、これは。上岡は考える。確かに校門前での状況は「愛の告白」の定番のようではいたが、それはあり得ないだろう。本人から聞いた訳ではないが、優希は桐生の事が好きだったはずだ。端から見ていれば分かる。では、何だ。
 うーむ、と上岡が考えていると優希の方が顔を上げた。顔はまだ赤いが、どうやら決心がついたらしい。上岡は思考を打ち切り、優希の方に意識を集中する。
「上岡先輩!」
「何?」
「こ、これから私とデートして下さい!」




 硬直。




 言ったと同時に頭を下げた優希と、思わぬ言葉を聞いた上岡。2人は面白いくらいにそのままの姿勢で固まってしまっていた。だが見る人が見れば上岡の目線が尋常ではない速さで泳いでいるのが見えたかもしれない。
 先に動いたのは優希だった。顔を上げ、不安そうな顔で上岡を見つめる。混乱から抜け出せず、固まったままの上岡を見るうちに少しずつ、少しずつ優希の目に涙が見え始める。
 上岡はそれに気付いた。そして悟った。普段、決して積極的とは言えない彼女が、その言葉を言うのにどれだけの勇気を必要としていたか。
 それからの行動は早かった。
「うん、喜んで」
 そう言いながら優希に向かってにっこりと微笑み、目尻に溜まった涙を指で拭ってあげる。役者もビックリの早さ、そして自然さだ。
 その甲斐もあってか、優希は今日初めて笑顔を見せた。
「ありがとうございます!」
 優希の笑顔を見ながら、上岡は心の中でそっと呟いた。


 あの顔は絶対に反則だ、と。








 数時間後、2人は肩をならべて歩いていた。
 冬は日が沈むのが早い。上岡はすっかり赤くなってしまっている空を見ながら、さっきまでの事を思い返していた。
 ゲームセンターについた後は、とりあえず一緒に色々やってみた。エアホッケーはかなり予想通りの動きをしてくれて、エキサイトはしなかったけれど、見ていて微笑ましかった。
 かと思えば、もぐら叩きをやらせてみると驚くような高得点をとってみたり。
 最初は少しだけ彼女にゲーセンは合わないのではないかと思っていたが、全然そんな事はなかった。優希と一緒にいたゲームセンターは、とても楽しかった。彼女の今まで知らなかった表情を見る事ができた。
 それは、クレーンゲームをやっている時の真剣な表情だったり、恥ずかしがりながら一緒にプリントシールを撮ろうと言ってきた時の笑顔だったりするのだが、比喩なしに彼女の表情が眩しいくらいだった。

 その後2人で、喫茶店で休憩したり、ウインドウショッピングをしたりしたら、あっという間に時間が過ぎてしまった。
 一番夕日がきれいな時間帯だった。優希を送っていくため、上岡は優希の一歩後ろを歩く。
 今日の初めとは違い、2人で交わされる会話はとても自然なものになっていて、ゆっくりと時は流れていた。
 しかし、ふとした事から会話が途切れる。
 少しの間、無言で歩く。
 そうさせるのは、楽しい時間が終わってしまうという寂しさと。
 何故自分を誘ったのかという、疑問だった。
 でも、そんな事はどうでも良いのかもしれない。だって、楽しかったから。
 少し前を歩く優希を見つめながら、それでも、少しだけ気になっている自分がいた。
 終わりの時間は刻一刻と近づいてくる。そしてその時が来た。
「……先輩」
 沈黙を破ったのは優希の方だった。
「今日は本当にありがとうございました」
「いや、楽しかったからね。御礼を言うのはこっちの方だよ」
 優希が立ち止まる。上岡もそれにつられて歩みを止めた。
 優希は上岡を見つめている。その顔が赤いのは夕日の所為だけだろうか。
「それでは先輩、この辺でお別れですね」
「そっか。うん、じゃあまた学校でね」
「はい」
 別れの挨拶をしてもなかなか動こうとしない2人。心地良い空気が2人を包む。
 上岡は、今2人でいるこの時間が終わってしまう事がとても寂しく思えた。だから動かなかった。
 それでもずっとこのままでいるわけにはいかない。優希が優しく微笑みながら口を開く。
「あの……上岡先輩。最後に一つだけいいですか?」
「いいよ。何?」

 ふわっ。

 一瞬の出来事だった。
 ゆっくりと離れていく優希の顔は先ほどよりも赤い。しかし、上岡にそれに気付く余裕があったかどうか。
「……好きです、上岡先輩」
 にっこりと微笑みながら、告白。もうオドオドと言葉を詰まらせる少女はどこにもいなかった。
「ライバルは多いですけど。私、頑張っちゃいますから」
 両手を閉じ、体の前に持ってきて、うん、と頷きながら気合いを入れてみたりする。
「ではまた月曜日に会いましょうね。上岡先輩」
 そう言うと、優希はくるんっと後ろを向き、自分の帰る場所へと駆けていく。
 昼と夜に挟まれたわずかな時間。その場に残されたのは、優希が去った後のわずかな風と、いまだに固まったままでいる上岡進だけだった。




 すっかり日が沈むまで佇んでいた上岡は、確信を持ってこう思う。




 やはり世界は不思議な事で満ち溢れている、と。







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