『オリジナル』


 翼と少女







「あの、お願いがあるんです」

 意識が覚醒してから最初に聞いたのがそれだった。
 状況が理解できていない。辺りを見回す。しかし、自分の周囲には、現実感が伴わない空間が広がっている。空は蒼く、地平線の果てまで続くのは白い床。なんとなく雲の上に立っているようだ。といっても頭上には太陽があるわけでもない。
 夢だろう。そう思う。
 夢の中で、それが夢だと知覚できるものを、明晰夢といっただろうか。今まで見たことはなかったが、不思議な感覚だった。
 もう一度見渡す。先ほどと変わらない、どこか作り物じみた空間。
「え?」
 先ほどまでは自分以外は誰もいなかったその空間の中、自分の傍らに一人の少女が出現していた。しかもその背中には純白の翼。
 年の頃は15,6くらいか。背中の翼と同じく、着ている服も清潔そうな白のワンピース。髪の毛は漆黒で白と黒とのコントラストが鮮やかだ。顔は結構好み。今は真剣な表情をしているが、きっと笑ったら可愛いだろう。そういえば、さっき聞こえた声はこの少女のものだろうか?
「なんなんだ? ここ……」
 不思議な夢だな。とか思いながら、真剣な表情でこちらを見つめている翼のある少女に聞いてみた。
「お願いがあるんです」
 無視か。まぁ、これ夢だろうし。そんなものなのかもしれない。とりあえず流れに身を任せてみることにする。
「『お願い』って、どんな?」
 そう言うとパッと顔を明るくし、たたんでいた翼までバサッっと開く。羽根がいくつか宙に舞う。素直に奇麗だなと思った。
「聞いてくれますか?」
「まあ、一応な」
「やりました!」
 少女はよほど嬉しいのか、そのまま手と翼を使った万歳をしながら飛び跳ねている。
 なんとなくその様子を眺めていると、しばらくして少女は見られているのに気付いたのか、コホンと一つ咳払いをしてこちらに向き直った。
 そして、一泊置いてから、少女は笑みを浮かべながら、よく通る高い声でこう言ったのだ。




「少しだけ死んでください」




 たっぷり10秒間思考停止。
 なんとか平静を取り戻し、なんとなく蒼い空を見上げ、呟く。
「早く覚めないかな。この夢……」
「え!? あ、あ、あの、それだけじゃなくて! えっと、とにかく最後まで聞いて下さい!」
 かなり小さい声だったはずだが、少女には聞こえたらしく、やたらと焦っている。
 しかし、いきなり「死んでください」と来るとは。さすが夢、展開が突飛だ。
 少女はオドオドしながら話を続ける。
「あの、死ぬといっても、仮死状態みたいなものなので安心して下さい。後で体に戻れますし。……あ、こういうの幽体離脱って言うんですかね? とにかく、たくさんの人の命が懸かってるんです。協力してください」
「もう少し整理して話してくれ。訳が分からん」
 今の説明ではほとんど何も解らない。人助けのようなものだろうか? しかし、それと自分の命の何が関係するのかさっぱりだった。とりあえずもう少し詳しく話を聞きたい。
 普段ならこんな面倒なことは端から御免だが、せっかくの夢だ。面白そうなので少し付き合ってあげようとも思ったのだ。
「あ、はい。えっと、どこから説明すればいいのかな……」
「まずは、ここはどこか。そしてその次に君は誰なのか。そして君は俺に何のために、何をして欲しいのか」
 少女は考えを整理しているのか、顔を下に向け、唸っている。そして、しばらく考えた後、顔を上げた。
「分かりました。まず、ここの事を説明しますね」
 少女の説明が始まった。


「――ここは、あなたの夢の中です。ただ、あなたの身体は今交通事故によって意識不明の重体です。そして、このまま放っておくと死んでしまいます。脳死、というやつですね」
 とんでもない事をさらっと言われた気がする。
「しかし、本当ならば、あなたはここで死ぬはずじゃないんです」
「死ぬはずじゃない……?」
「そうです。正しい運命の流れでは、あなたは助かる事になっています。ですから……えーと、『時間の流れや運命を司る神様』の下で働く私と、夢の中で会っているわけです」
「『時間の流れや運命を司る神様』?」
 なんか胡散臭い単語が出てきた。しかも、それを言う前に何か悩んでなかったか?
「ええ。あなたたちに分かりやすく言うと、そうなります。本来私たちに名前はありませんし」
 そんなものなのか? まぁ、夢だし気にすることもないか。
「はぁ。で、『お願い』とやらを聞いたらここで死なずにすむ、と」
 なんとなく言いたい事は分かってきた。俺の死というのは運命の流れからするとイレギュラーらしい。だから復活させてくれるのだろうが、何もなしにというわけにはいかないのだろう。しかし、条件をクリアすればちゃんと生き返る事ができるわけだ。もっとも、俺はまだ死んだわけじゃないらしいが。
「そうです。そこで、あなたには死ぬ前に幽体離脱して、ちょっとした事をしてもらう事になります。もちろん幽体離脱は、こちらに任せてもらえればすぐにできるので、ご安心を」
 最初と違い、すらすらと説明していく。どこかの企業のマニュアルに載ってそうな口調だ。……もしかして、本当にマニュアルがあったりするんだろうか? まぁ、そんな事はどうでもいい。
「……で、何をすればいいわけ?」
「あなたの死の他に、実はもう一つ運命の流れから外れそうな事があるので、それを止めてもらいます」
「ちょっと待て、幽体離脱した俺って、要するに霊体だろ? どうやって止めるんだ?」
「念動力」
「うわ。嘘くさ」
 さらに展開が現実外れなものになってきた。もとより単なる夢だと思ってはいるが、いい加減馬鹿らしくなってくる。
 少女はその態度が気に入らなかったのか、とたんに表情を変え、憮然として言った。
「あー。何でそんな事言うかなぁ。このままだと死んじゃうんだよ?」
「って言われてもなぁ……」
 いくら夢とはいえ、こんな事を信じたつもりになるのも抵抗がある。いつも、超常現象だとかを鼻で笑ってるような奴だからな、俺は。
 少女は呆れたような顔で小さく溜め息を吐くと、ズズイッと顔をこちらに近づけてくる。
「あのねぇ。これがただの夢だったらそのまま知らんぷりしててもいいけど、本当の事だったら生き返る事のできるチャンスを、みすみす見逃す事になるんだよ。それでもいいの?」
 どう考えても夢だしなぁ……。と思ったが、夢だからこそ普段体験できないようなことができるかもしれない。一応話くらい聞いとこうか。
「まぁ、よくはないな」
「でしょう。確かに幽体離脱しただけで、念動力使える人って少ないんだけどね。でも、心配しなくても私達の権限で、確実にそういう力使えるようになるから」
 そう言って少しだけ偉そうに、無い胸を反らす。さっきから、態度や言葉使いが変わってしまっている。多分こっちが地だろう。
 ふと気になった事があるので尋ねてみる。
「でもなんで自分達でやらないんだ? それ」
「それはね、私達は直接……というより、物理的に干渉してはいけない事になってるの。こういう緊急事態の時も、あなたみたいな人に協力してもらって解決する事になってる」
 よく分からないが、そういうものなのだろう。分かろうとさえ思わないが。ついでにもう一つ尋ねてみる。
「で、止めたい事って何なんだ?」
 俺としては気になる所だ。確か「たくさんの人の命が懸かってるんです」とか言っていたが。
 少女はニヤリと笑い、良く通る高い声で、はっきりとこう言った。

「飛行機の墜落事故」






 それは拍子抜けするほどあっけなく終わった。
 今、自分達が居る所は、とある書店の本棚の前。そして今俺がやった事は、これからどこかのオッサンが買うであろう一冊の本を、念動力(?)で別の場所に移動させただけである。
「これで、終わりなわけ?」
 なんとなく不安になり、隣にふよふよ浮いている、翼を持つ少女に確認をしてみる。
「うん、大丈夫だよ。これでお終い。お疲れ様」
 笑顔。釈然としないものがあるが、とりあえずこれで身体に戻れると思ったらホッとした。
 あれから俺は少女からの「お願い」を二つ返事でそれを引き受け、幽体離脱(もちろん初体験)した。
 ちなみにその時、ベッドの上に横たわる自分の姿を見て落ち込んだり、親や友人に自分がここにいる事を分かってもらえなくてヘコんだりという、漫画とかでしか見たことのない体験をする羽目になった。
 そしてこの時にはある程度、少女の話を信じるようになってしまっていた。何故かというと、いくらなんでもここまで凝った夢は見ないような気がしたからだ。それに夢にしてはすべての感覚がはっきりしすぎている。
 面倒ではあったが、夢ではなかったときが怖いため、言われるままに少女についていったわけだが……
「本当にあれだけなのか?」
 当然の疑問だった。
「うん。オッケー。これで自分の体に戻れるよ。でも何、そんなに信じられないわけ?」
「そうじゃなくて、あの本の移動と、飛行機の墜落事故の間にどのような関係が?」
 少女は人差し指を頬にあて、首を傾げて「んー」と少しの間考えてから言った。
「カオス理論、バタフライ効果って知ってる?」
「……いや、それにしてもだな、何でこんな回りくどいことを? 直接墜落の原因を除けば良いんじゃないのか?」
「確かにそれでも止める事はできるんだけどね。今度はその修正した部分が原因となって、運命の流れが変わってしまう事になるの。時にはもう修正できないくらいにね。 だから、できるだけ流れに影響を与えないような修正方法を探し出して、実行する事になってる。今回はそれがあの本の移動だったというわけ」
「はぁ……」
 分かったような分からないような……


 程なく自分の身体がある病院に到着。少女が俺を身体に戻す準備を始める。
「ま、とにかくこれで俺は身体に戻れるってわけだ。よかったよかった」
 ここでふと気付く。
「って事は、もうあんたとはお別れなんだよな。世話になったな」
 少しの間だったが、これはこれで楽しかったし、最初に見た笑顔が印象的だったので、これでお別れだと思うと少し寂しかった。
 しかし、少女はいつもと変わらぬ笑顔を向ける。
「ううん、こっちがお願い聞いてもらったんだし。それに、もう会えないって訳じゃないから」
「どうゆう事だ?」
「本当に死んだらまた会えるよ」
「はは……でも、そんなにすぐには来てやらないからな」
 2人で笑う。和やかな空気が流れる。視界が少しずつ暗くなってくる。身体に霊体が引き付けられる感じ。そろそろ別れの時間のようだ。
 ひとしきり笑った後、少女はこう言った。






「一ヶ月くらい、すぐだよ」






 ……………………
「…………はい?」
 なんか、最後の最後でものすごい爆弾発言が飛び出た気がする。
「ど、どうゆう事だ!? い、一ヶ月って……」
「つまりね、あなたはここで死ぬわけじゃない。けど、運命の本来の流れだと、リハビリが終わって退院する日、その日にまた交通事故にあって、死ぬ事になってるの」
「お、おい冗談だろ?」
「ううん、本当」
 少女は、笑みを崩さない。
「ふ、ふざけんなよ! せっかく身体に戻れるのに、そんな事になってたまるかよ! 絶対に回避してやるからな! 交通事故にあうって分かってれば……」
「それ無理。だって身体に戻ったら、今までの事忘れるもの」
 少女は、笑みを崩さない。
「……」
「……」
 俺が絶句していると、少女は、やはり笑顔のままで手を振る。
「じゃあ、また会おうね」
 今は少女の笑顔がとんでもなく憎かった。
 そして、薄れゆく意識の中、ポツリと俺は呟いた。




「結局死ぬんかい、俺」








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 結構前に『戯言』の方で書いたものを諸事情でまとめなおす機会があったので、はれて『書庫』入りを果たしました。

 こうやって一つにまとめてみると、あまりの出来に最初から書きなおしたくなったりしたわけですが面倒なのでほとんどそのまんま。










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