『KanonSS』


 雪はどこまでも白く 後編








 一斉放火で北川を葬った後、あゆは中庭に急いでやってきていた。他のメンバーが来る前にやっておかなければいけない事があったからである。
「ようし、ここからなら……」
 あゆが今いるのは、中庭に植えられている木の上だった。
 葉はすべて落ちてしまっているとはいえ、校庭から中庭に入って一番近いの木であり、幹は十分に太いので校庭とは反対側に身を隠していれば気付かれる事もないと踏んでいた。
 一度は木から落ちて重傷を負った身だが、いまだに木登り自体は得意なのだ。
 木の上に積っている雪で玉を作り、息を潜め、獲物が来るのを待つ。
 シャリ。
「!」
 雪を踏みしめる音。あゆはゆっくりと顔を覗かせる。
(栞ちゃんか……)
 栞は気付いた風もなくゆっくりと近づいてくる。
 あゆは確実に当てられる距離までじっと待つ。
(もう少し、もう少し……)
 しかし、もう少しという所で栞が立ち止まった。
「まだまだ甘いですよ、あゆさん」
「うぐっ!」
 あゆは自分の完璧な計画をあっさりと見破られ、驚きを隠せない。
 栞は一定の距離を保ちつつあゆの姿が見える方へ移動した。
「栞ちゃん、どうして分かったの……?」
 その言葉を受け、栞は何故か溜め息をつく。
「あのですね、みんなで一斉に北川さんを沈めた後にあゆさんがこちらに向かったのはみんなが知っている所です。そして、木に登る、ここまでは良いんです。でも、足跡がそこで途切れていたら、木に登ったのがバレバレですよ」
「うぐぅ……で、でも、ボクの方が上にいるんだから、玉を投げ合えばボクの方が有利……」
「はぁ……」
 栞はもう一度溜め息をついた。
「あゆさん、頭」
「え? 頭が何?」
「風船、もう割れてます」
「ええぇぇぇぇぇ!!!」
 あゆが慌てて頭の方へ手をやると、既にターゲットは破れてしまっていた。
「な、なんで……」
「多分、木に登る時に引っかけたんじゃないですか?」
「う……うぐぅ……」


 〜 月宮あゆ、リタイア 〜






「さて、どうしましょうか」
 木から下りて、落ち込んだ様子あゆを見ながら栞は作戦を練っていた。
「最初はお姉ちゃんとタッグで行こう思っていたんですが……」
 栞がチームを組もうと香里に話すと、「今回は別々でいきましょ。こればっかりは譲れないから」と言われてしまったのだ。誤算である。
 川澄舞と倉田佐祐理は当然のようにチームを組んでいるであろうし、沢渡真琴と天野美汐についても同様であると思われる。
「やはりここは、どちらかのペアが崩れるまで様子見……」
「覚悟ー!」
「なっ!」
 声に振り返ると真琴が雪玉を持ってダッシュしてくるのが見えた。しかし、美汐の姿は見えない。
「目を付けられてしまいましたか……」
 見えない美汐を不審に思いながら、栞は後ろに下がる。
「こらー、逃げるなー!」
「戦術的撤退です!」
 真琴から離れつつ、射線軸にはできる限り木がくるようにして逃げる。後ろからいくつか雪玉がとんでは来るが、当たる気配はまったくない。
 そして校舎の端に差し掛かろうとした時、栞は気付いた。真琴が一人で自分を追って生きている意味を。
 しかし、加速がついているのですぐには止まれない。
「も、もしかして!」
「そのもしかして、です」
 栞は止まろうと制動をかけたが、やむなく角の部分から飛び出てしまう。そして、校舎の影に隠れていた美汐が目の前に出てきた栞に雪玉を投げる。
「くっ、油断してしまいました。どこかに罠を張っている事は分かっていたんですけど……やりますね」
 紙風船を割られた栞はがっくりと膝をつく。
「ふふ、確かにバレバレな戦法ですが、考える暇を与えなければそれなりに役に立つものです」
 ここで栞の後を追っていた真琴が追いついてきた。
「美汐ー、うまくいったね」
「ええ、真琴のおかげです。ありがとうございました」
 美汐はにっこりと笑い。手を真琴の方へ持っていく。何故かその手には雪がたっぷりと持たれている。
「あぅ?」
 真琴が首を傾げていると、ぼすっ、という音と共に真琴の頭に雪を落とす美汐。当然、真琴の付けていたターゲットは割れる。
「な、なにするのよぅ!」
 真琴の剣幕にも美汐は笑みを崩さない。
「真琴の運動能力は後に残しておくと厄介ですから」
「裏切ったのね! 卑怯よ!!」
「秋子さんは裏切りはOKだと言っていましたから。『今度ばかりは譲れませんよ』と最初に言ったではないですか。それに、真琴もいつ裏切ろうかそわそわしていたでしょう? 校庭の方でも人数がかなり減っているでしょうしね。そろそろだと思ったのです」
 肩を落とす真琴。
「あぅ……人生って厳しい……」
 それを見ていた栞がポツリと呟く。
「天野さん、なかなか悪人ですね……」
「その言い方は酷というものです。したたかとでも言って下さい」
 そう言って美汐は新たな戦場へと向かった。


 〜 沢渡真琴・美坂栞、両名リタイア 〜






 一方校庭の方では白熱した戦いが行われていた。
「さすが名雪ね、運動神経良いじゃない」
「香里も凄いよ。なかなか風船に当たらないもん」
 香里は既に服が雪玉に当たった後が多く、雪にまみれているが、名雪の服は肩に少し積っているくらいでまだ奇麗なままだ。
 二人の対決は一見名雪が優勢に見えた。しかし、内容はそうでもなく、香里は身体には受けるが、うまく立ち回りターゲットに当たりそうになった事がない。そして、投げる際には、ピンポイントでターゲットを狙っていくため、名雪にとって危ない場面がいくつかあった。
 そして、それがしばらく続いていたのだが、その均衡を崩すものが現れた。
「あははーっ。舞ー、そろそろいきましょう」
「はちみつくまさん」
 舞、佐祐理の二人である。今までどこかに隠れていたのか、まったくの無傷だ。
 2人はゆっくりと香里達の方へ近づいてくる。
「これは不味いわね……名雪」
 状況の不利を悟った香里が名雪に目配せを送った。
「うん、分かったよ香里。一時休戦、だね」
「じゃ、行くわよ。相手は強いから気を付けて!」

 かくして二対二の戦いは始まった。
 まずどちらも相手側を牽制しつつも、離れた場所に雪で堤防を作り、玉をしのげる拠点とした。
 そして、舞、佐祐理ペアは舞を前衛とし、佐祐理が舞に指示を出しながらサポートに徹する。
 それに対して、名雪、香里ペアはそれぞれが自由に戦っていたのだが、次第に押され始めた。奮闘してはいるのだが、舞の運動神経は並みではなく、さらには佐祐理のサポートの仕方も優れているのでなかなか手を出せない。
「わ! 危なかったよー」
 名雪の顔の横を雪玉が通りすぎていく。それを見て、香里が苦い顔をしながら提案した。
「このままじゃ駄目ね。作戦変更といきましょう」
「どうするの?」
「危険だけど、賭けに出ましょう。正攻法では勝てないから、奇策でいくことにするの。そして、まずは2人で舞さんを叩くのよ。その後2人掛かりなら佐祐理さんを何とかできると思うわ」
「うん、わかったよ、香里」
 香里は名雪に手招きをしながら言った。
「それとね……これが重要なんだけど……」




「攻撃がやみましたね。どうしたんでしょうか……」
 佐祐理は壁から少し顔を出し相手側を伺う。先程から名雪も香里も壁に隠れたままだ。チャンスかもしれないが、罠の可能性もある。うかつには手を出せない。
 舞もこちらへ戻ってくる。
「分からない。でもきっと大丈夫。佐祐理は私が守るから」
「ありがとう、舞。でもこれは本来個人戦なんだから、そんな事気にしちゃ駄目だよ」
「駄目。2人になるまでは仲間」
「そうだね。うん、わかった。そうしよう」
 2人の顔に笑みが浮かぶ。
 そんな会話をしていると突然舞が立ち上がった。
「来た」
 舞の言葉に佐祐理も顔を出した。
 見ると、名雪と香里が2人固まって横に移動していた。
「何が狙いなんでしょうか。こちらを攻めるなら二手に分かれた方が効果的なのに……」
「佐祐理……出る」
「うん、でも何かの作戦かもしれないから気を付けてね」
「分かった」
 その言葉と同時に舞が飛び出す。その後を少し遅れて佐祐理が追う。
 名雪と香里はまだ横に移動していたが、突然止まり、佐祐理達が出てきた事を確認してからこちらに向かって進撃を始めた。
(なぜこんな事を……?)
 諦めて突撃をしてきたのだろうか。佐祐理にはまだ2人の意図する所が分からないでいた。しかし、考えつづけているわけにもいかない。攻撃の準備をする。
 舞が前に出て雪玉を投げる。しかし、2人には当たらず後ろに抜けた。そして雪玉は本部にいる祐一の足元へと落ちる。
 それを見た佐祐理がはっとしたように叫んだ。
「駄目です、舞! 祐一さんに当たると失格になっちゃいます!!」
 第二撃目を放とうとしていた舞はその言葉に手の動きが止まる。
「今よ!」
 言葉と共に名雪と香里は加速。
 それに気付いた佐祐理と舞も迎撃の体制を取った。
 そして4人は距離が詰まる。
「!」
 お互いが十分に近づいた瞬間、何故か舞は突然身体の向きを変えた。
 名雪と香里はそれに気付きつつも、舞に対し2人一斉に雪玉を投げつける。

 複数の雪玉が舞い、バスっという紙風船が割れる音が『4つ』響いた。

「負けちゃいましたかー」
 風船を割られた佐祐理が、地面へたり込む。香里も同様に腰を下ろした。佐祐理の投げた雪玉が当たっていたのだ。
「玉砕だったわね。それにしても……」
 一同の視線が一方を向いた。
「失敗、でしたか……」
 その先には肩を落とす美汐がいた。4人がそれぞれに気を取られているうちに、射程内まで近づいて、佐祐理を狙っていたのだ。しかしそれに気付いた舞が、やられる直前に迎撃したのである。
「でも、気付くのが少し遅れた……もっと早く気付いていれば佐祐理を守れたのに」
「え、あれ? という事はもしかして……わたしの勝ち?」
 自分を指差して首を傾げる名雪。その頭にはまだ無事な紙風船が乗っかっていた。
「そういう事ね。悔しいけど、おめでとう」
「おめでとうございますー」
「……楽しかった」
「惜しかったのですが、仕方がありません」
 名雪の顔に笑顔が浮かぶ。
「やったー! わたし勝ったよ祐一ー!!」
 そして名雪は幸せそうな顔をして、祐一のいる本部まで走っていった。
 これからの予定を頭に思い浮かべながら。

 そう、今日はクリスマスイブなのだ。








 ・エピローグ



「あ、名雪が勝ったんだな」
 走って本部まで戻ってきた名雪に、祐一が声をかける。
「うん、私が勝ったんだよ!」
「幸せそうだな、お前」
「だって、今日祐一と過ごせるんだよ! 嬉しいよ!!」
「あらあら。お疲れ様、名雪」
 秋子がにっこりと微笑みながら名雪の横に立つ。
「うん。ありがとう、お母さん」
「でも、残念ね……」
「え?」
 ぼふっ、と名雪の頭に雪がかぶされる。頭についていた紙風船が割れる。
「うふふ、名雪。説明はちゃーんと全部聞いておかないと駄目よ?」
 秋子は諭すように名雪に微笑む。
「え? え?」
「名雪。つまりだな……」
 状況が分かってない名雪に祐一が説明をする。
「秋子さんは『参加しない』とは一度も言っていないんだ。つまり、今ので秋子さんの優勝」
「え、お母さんって審判じゃなかったの!?」
「そんな事は一言も言ってないわよ、名雪。それにルールはみんなで決めたものだったし。私にだって参加する権利くらいはあるでしょう?」
「でも、でも! 紙風船は……」
 秋子はその言葉を聞いて、微笑みながら背負っていた袋をおろして開けた。
「なにも頭に付けなさい、なんてことは言ってませんよ。もちろん、私のターゲットは無事です。ケースの中に入れておきましたから」
「…………」
 言葉も出ない名雪を尻目に、秋子は祐一を縛っていた縄を解き始める。
「それじゃあ祐一さん、じっくりと話したい事もありますし、今夜はとことんまで付き合ってもらいますからね」
「仰せのままに」
 縄を解かれた祐一は秋子と一緒に去ってゆく。その場には名雪だけが残された。

「ひ、ひきょうなんだおーーーーーーーー!!!」

 名雪の魂の叫びは白い世界にどこまでもどこまでも響いていった……






 
〜 おしまい 〜











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