『幻想入り(予定)シナリオテキスト』
第3話
意識が浮上する。 先ほどまで懐かしい夢を見ていた気がした。常に一緒にいた頃の夢。あれは俺が付いて回っていたのか、それともあちらが世話を焼くためまとわり付いてきていたのか。ともあれ、懐かしい記憶だ。いつもと違う環境で眠ったからだろうか、こんな夢を見たのは。 しばらくボーっとそのまま天井を見上げる。昨日気が付いたときにも寝ていた部屋だ。窓からは朝日が入り込んでいる。外は良い天気なようだ。 昨夜、色々と教わったあと、この部屋で使っていい言われたのでありがたくこの部屋で寝させてもらった。言っていたとおり、今日までは面倒を見てくれるらしい。俺としてはありがたい事この上ない。 手を伸ばし、サイドテーブルにおいてあった腕時計を掴み取り、装着する。現時刻、午前7時23分。 しかし、起きた瞬間からわかっていたことだが。 「完全に体調崩したな……」 体中を覆う倦怠感。思考を妨げるように熱を持った頭。少し寒気を感じる身体の感覚から推察すると、体温は38.5度くらいって所だろうか。起きて行動するにはちとつらいなぁ、これは。 昨日、寒空の中、湖に墜落したのが原因だろう。そのあと、毛布を沢山掛けられていたとはいえ、服は着ていなかったし、ここにたどり着くまでに体温はかなり奪われていただろうし。最近急に寒くなってたのも影響してるかなぁ。 そんな事を考えていると、コンコン、とドアをノックする音が聞こえた。 「はいよー」 ベッドに寝っころがったまま返事をする。……大きい声を出すと頭に響くな、これは。 俺の返事を聞いてからアリスが入ってきた。 「ちゃんと起きてるわね。よく眠れた?」 「よく眠れたし、そこは問題ないんだけど……」 ベッドから起き上がらない俺を不審に思ったのか、アリスが近寄ってくる。そして、ベッド横からじーっと俺の事を観察したあと、手の平を額に当ててくる。先ほどまで水仕事でもしていたのか、ひんやりとして気持ちいい。 「かなり高いわね」 「ごめん。本当に申し訳ない」 俺がそう謝ると、アリスは僅かに苦笑する。 「……いいわ。期限を一日延ばしてあげる。頑張って今日中に治しなさい」 こちらの言いたい事は一発で伝わったようだ。今は声を出すのも少しつらいくらいなので、二重にありがたい。 「助かります」 アリスは俺の謝辞が聞こえているのかいないのか、何か考え込むそぶりを見せながら口を開いた。 「解熱に使える薬はあるにはあるんだけど、私用に作ったものだから、人間に使うのはちょっと怖いのよね」 「いや、いいよ。昨日のあれと、環境が変わったストレスとか疲れが原因なら、しっかり寝ればすぐ治るだろうし」 多分。 「そう。ちょっと待ってなさい」 「アリスさん?」 アリスはそんな事を言う俺を一瞥してから、踵を返し部屋から出て行く。 それを見てから、ふーっと息をつく。 人間に使うのは――か。 アリスがさっき口にした言葉はつまり、アリス自身は人間ではない、という事を意味する。種族は魔法使い、という事らしいが、魔法使いというのは、術の習得の有無で決まるものらしい。だから、生まれがどうこうというのは関係なく、元人間の魔法使いと言うのもいるだろうし、もとからそういった術を持った人外の魔法使いというのもいるのだろう。もしかすると、術の会得によって身体の構造自体が変わってしまうのかもしれないが。それは置いておくとして、昨日の説明を聞いたところによると、幻想郷には人間と妖怪が住んでおり、妖怪とは人間を食する物の怪の事らしい。幻想郷には人間と妖怪以外にも、色々とファンタジーな奴らがいるにはいるらしいのだが…… アリスはどうなのか、確認しておくべきだろうか。 そんな事を考えているうちにアリスが戻ってくる。 「水はここに置いておくから、好きに飲んで。なくなったら、昨日教えた保存場所からまた汲んで来れば良いから」 どうやら、水を持ってきてくれたようだ。見ると、ベッド脇にあるサイドテーブルに、お盆に載った水差しとグラスが置いてある。 「ありがとう」 「私はちょっと用事があるから出てくるけど、大人しく寝てるのよ」 「……了解」 俺の返事を聞いたら、すぐにアリスが部屋から出て行く。急ぎの用でもあるのだろうか。 気になることもあったが、まぁ、今は聞かなくても良いか。後で聞く機会もあるだろう。ここまでしてくれた彼女を疑いたくなんてない。 とりあえず、俺がアリスに対して今できる事と言えば、 「寝よう」 早く体調を治す事だけだった。 何か冷たいものが顔に当たった気がして眠りが覚めた。 目を瞑ったまま身体の調子を確認する。……朝よりはまし。数値にすれば38度あるかないか、だと思う。動き回っているときはともかくとして、こうやって寝ているときならば、結構な精度で自分の体温は分かる。多少落ち着いたようだ。身体も朝のような寒気はなく、火照るように熱い。快方に向かっているのだろう。 額ののうえに濡れタオルのようなものが置かれているのが分かる。多分、これが原因で目が覚めたのだ。アリスが帰ってきたのだろう。 そこまで確認し終えた俺は、ゆっくりと目を開ける。 「――――」 「――――」 目を開けると、こちらを覗き込むように見ている瞳があった。流れるような金髪が、その姿勢のせいで頬に当たって少しこそばゆい。……あれ? 「――――!!!!」 アリスじゃない!? ++++++++++++++++++++ その事に気が付いた俺は、ガバッと体を起す。こちらを覗き込んでいた少女が、慌てて身を引いた。アリスと同じ金髪ではあるが、長さが違う。アリスは肩くらいまでだが、目の前の少女は腰くらいまである。当然、表情も違う。衣装も違う。俺が突然起きた事に驚いているようだ。 いきなり身体を起したせいか目眩がする。軽い貧血の症状だろう。それを無視して、ざっと相手の全身を確認する。年の頃は俺よりも少し下、15か16くらいか。白いブラウスの上に黒い服を着ていて、黒色のスカートには白いエプロンが付いている。見事に黒と白と二色だけだ。その黒い服、エプロンのポケット、他にもスカートなどいくつか、何か物を突っ込んでいるのか膨らんでいる場所がある。現状、手には何も持っていないが、武器となりそうなものを入れている可能性を考える。それに加えて、壁に立てかけてある箒。出窓のスペースへ置かれている、魔女がよくかぶっているような黒色のとんがり帽子。見覚えがないのでおそらくこの白黒少女のものだろう。 それを確認した後、相手の瞳に視線を合わせる。俺がとっさの時にやる、こちらに対する害意の確認方法。 ………… ++++++++++++++++++++ 「はぁ」 息を吐く。まだ少しクラクラする。 「おいおい、まだ体調治ってないんだろ? ちゃんと寝てろよ」 言われるままに体を再び倒す。こちらに対する害意はないと思う。そもそも、そうだったら寝てるうちにどうにかなっていたし、この体調では逃げられない。さっきのは癖のようなもので、とっさに反応してしまっただけだ。 「いやー、悪い悪い。ちょっとビックリさせちまったかなぁ」 そんな事を言って頭をかきつつ、ははは、と笑う白黒少女。男らしい言葉遣いだね、しかし。 「君は?」 とりあえず疑問を投げかける。ここはアリスの家だし、同居人がいるとも聞いていなかった。まぁ、ここまで堂々とした不法侵入者がいるとも思えないが…… 「私か? 私は霧雨魔理沙。魔法使いだ」 そう名乗った少女はニヤリと笑う。堂々としたその態度からは自ら対する自信のようなものが見て取れる。アリスと御同業というわけか。彼女の持ち物であるだろう箒と帽子を見れば、妙に納得がいくというものだ。まぁ、『魔法使い』というよりも、『魔女』という感じだが。 「アリスさんとは友達とか?」 「ああ、そうだ。……と、私は思ってるぜ」 つまり、アリスから見ると違うと? 「なんだろうなぁ。正確にはライバルとか単なる同業とか、そういう感じかな?」 「どちらにせよ、アリスさんを訪ねてきたんですよね。アリスさんはなんか用事があるとかで外出してるんですが」 時刻を腕時計で確認すると11時を回っていた。……よく考えたら、アリスがもう戻ってきている可能性もあったわけだが、次の魔理沙の言葉がそれを否定した。 「あぁ、知ってる知ってる。むしろ外で会ったから来たんだ。アリスとはたまたま遭遇したんだが、家に体調崩した外来人がいるから、様子を見てて欲しいって言われてな」 なるほど。やはりまだ帰ってきてないのか。それに、魔理沙も何だかんだとと言ってはいるが、アリスと仲は良いのだろう。 「で、あんたのほうは直葉だったっけ」 「アリスさんから聞きましたか」 魔理沙は何かを確認するように俺の顔を観察して「ふーむ」とか唸っている。起きたときもそうだったけど、なんかあるのだろうか。 「何か顔についてます?」 「そうじゃないが、正直に言っていいか?」 「……どうぞ」 「あんまりハンサムじゃないよな」 「喧嘩売ってるのか!」 イキナリ過ぎるだろ!! 何なんだコイツは。 「悪いな。根が正直者なもので」 「真実はいつだって人の心を抉るんだよ。つーか可愛い女の子に言われるとかダメージ的にどうよコレ」 「いやー照れるぜ」 はっはっは、と朗らかに笑う魔理沙。 「あんま褒めてねーよ! 初対面の相手になんだそれ!? いや、自分の顔が良いとはさらさら思ってないけどさ!!」 あ、やばい、叫んだから頭が。 「そんな大声出して興奮するからだ。体調悪いんだから静かにしてろよ」 てめぇ。 とりあえず深く息をついて呼吸を整える。 「で、あんたは俺の顔が気になってずっと見てたのか」 「いやー、アリスは面食いのようなイメージあったんだが、違ったんだなぁ、と」 それ前提条件が間違ってるから。 「何を言ってるんだあんたは」 「お前、アリスに気に入られてるぜって言ってる」 「意味じゃなくて根拠に疑問を持ってるんだよ!!」 「いやいや、そんなに見当違いじゃないと思うぜ」 「だからその根拠は何だと」 俺がそう言うと、突然魔理沙は真面目な顔になる。見た目に反して、意外に目つきが鋭いな、こいつ。 「アリスが森で迷った奴なんかを家で保護するのは、確かにたまにある。だが、それだって少し休憩させたらすぐに元いた場所に送り返すし、それ以上関わろうとなんてしない。けど、朝に会ったアリスは、お前の事を見ててくれって私に頼んできたし、お前のために薬を取って来るみたいだったからな。おかしいと思ったんだ」 え、ちょっと待て。 「聞いてみると、男だって話だったし、どんなイケメンなのかなーと思ったら予想外に普通だったので驚いたわけだ。ということは、弱みをちらつかせて言うこと聞かせてるのか。外道だなー、お前。アリスのどんな弱みを握ったんだ?」 「あえて無視するけど、それ本当か?」 「質問に質問で返すとは自分勝手な奴だなー」 「鏡見ろよ!!!」 あぁぁぁ、頭が。 「だから体調悪いんだから興奮するなって」 いかん、ペースを崩されてる……落ち着こう。 「本当の事だぜ。私にお前の様子を見ててくれと頼んできたのも、薬を貰いに行ったってのも。まぁ、薬のほうは、私の推測だけどな。でも、飛んでいった方角からして間違いないと思うぜ。アリスがあの時間にあっちの方向に、なんか用事があるとは思えないしな」 「まったく。あの人は――」 俺には何も言わなかったくせに。それが本当だとすると、迷惑掛けすぎだ、俺は。どうやってこの借りを返せばいいのか分からなくなるじゃないか。 俺がアリスに対して恩を返すためにできる事を考え始めていると、それを見ていた魔理沙が何かに納得したような様子で聞いてきた。 「ふーん……直葉は外来人なんだよな?」 「え、ああ。そうだけど」 魔理沙の問いかけに思考を中断される。 「アリスに聞かれたか? 元の世界に返りたいかどうかって」 「聞かれたけど、よく分かったね」 「まぁ、アリスの性格から考えたら聞くと思ったんだ。で、どう応えた?」 魔理沙の纏っている空気が変わった気がした。先ほどまでの能天気な様子が引っ込んでいる。 「返事は今日まで伸ばしてもらってたんだけど、この体調だったからね、起きた時にも聞かれなかったな。あと1日置いてくれるっていってたし、明日までに考えろって事なのかもしれない」 「で、お前の答えは決まってるのか?」 問われて、少し考える。確かに、今日には返事をすると決められたのだから、昨日寝る前に考えた。まぁ、色々考えた。とりあえずの結論も出ている。 「一応、ね」 そう言うと、魔理沙の表情が変わった。こちらを睨み付けてくるような視線。 「どう答えるつもりなんだ?」 口調は普通なのに、視線のせいで詰問されているような圧迫感を覚える。ころころ空気が変わりすぎて、対応しにくいな、この人。 「とりあえず、しばらくは幻想郷にいようかなって」 「へぇ、つまりここに残るつもりなんだな」 「ああ、そうだけど……」 パリン。 ++++++++++++++++++++ 反射的に音がしたほうを向いた。見ると、サイドテーブルの上においてあったグラスが割れている。水は飲みきっていたので水浸しになる惨事は避けらているが、自然に起こった事でないのは明らかだ。サイドテーブルから落ちて割れたならともかく、そこに乗ったまま割れるなんて事が普通あるはずがない。 俺がやったわけじゃない。という事は、同じ部屋にいるもう一人、犯人は魔理沙しか考えられない。 自分の上に影が落ちた気がして、視線を戻した。 魔理沙が座っていた椅子から立ち上がり、枕元に移動している。ベッドに寝ている俺を、上から見下ろす位置だ。そのまま魔理沙が俺の額に手を当てた。その瞬間、体中に痺れのような違和感が走る。 何をされた? 瞬間的に自分の身体の具合を確かめる。 腕、手首、指の先。気が付いたのは、力を入れても体が動かないという事だった。足の方も試してみるが結果は同じ。金縛りのような症状だ。魔理沙がこちらに触れた瞬間にこうなったという事は、魔理沙が原因で間違いはないだろう。グラスが割れたのも俺の自由を奪っているのも、魔理沙で間違いない。では、なんのために? 魔理沙も魔法使いだと言っていた。こちらの動きを止める魔法なんてのもあるのかもしれない。しかし、先ほどまではこんなことをするような奴だとは思っていなかった。 魔理沙の視線はこちらの目に固定されている。古来から、瞳は力を象徴する部位だという話を聞いた事もあるし、吸血鬼の瞳などにはそういう力が宿っているという話も多い。視線を介した魔法、なんていうのも考える事が出来る。ともあれ、どうやってこちらの動きを止めているのかはわからない。それに、どうすれば解除できるのかも分からない。 となると、今考えることが出来るのは、何のために魔理沙がこんな事をやっているかだが、今までの会話で魔理沙を怒らせるような言葉があったのだろうか。……確かに強く言い返したりしたけど、それが原因ではないだろう。流石に。 では、直前の会話、俺が幻想郷に残ると言ったその事実が魔理沙にとって不都合な事だったのだろうか。 しかし、ただそれだけ、というわけでもないはずだ。他にも外来人はいるらしいし、最近はかなり数も多いらしい。だから、それをこんな事をする理由に考えるには弱すぎる。 それに、もしそうなら、魔理沙はそんな珍しくもないちょっとした事で相手に危害を及ぼす危険人物になってしまう。流石にそれは…………あっても不思議じゃない気がする。が、おそらく違うだろう、うん。多分。きっと。 我ながら酷いことを考えてるな、と思いながら、理由を考える。 ++++++++++++++++++++ 「ちょっとお前、幻想郷を舐めすぎじゃないか?」 魔理沙がそんな事を言ってきた。 「簡単に言うじゃないか。とりあえず残ろうか、なんて」 こちらを押さえつける力が強くなった。身体が動かないのは当然として、何か圧力のようなものを感じる。 「困るんだよな。何も知らない無力な外来人がちょろちょろすると。勝手に騒動に巻き込まれた挙句、こっちに迷惑を掛けやがる。挙句の果てには、口先だけでこっちを利用しようとするやつも出てくるしな」 吐き捨てるように言った。 「正直邪魔なんだ」 最初に魔理沙から感じていた明るさや気さくさは、今の彼女からはまったく感じる事ができない。 「本当、最近外来人が多くてね。それはどうでも良いんだが、面倒かけてくる奴が多いのも事実なんだ」 どうやっているのか分からないが、腹の上に何かが乗せられているような圧迫感がある。力の概要が理解できないから、対処法も思いつかない。面倒な話だ。 そのまま魔理沙と見詰め合う。 「要するに、そんな風に簡単に『残る』なんていう奴には、腹が立ってしょうがないんだ。何がいいたいか分かるよな?」 彼女の言葉をそのまま受け取るならば、やはり俺が幻想郷に残るのは邪魔だから都合が悪い、という事になる。つまり、魔理沙はチラッと考えてしまった通りの危険人物だったということになるが…… 確かに、面倒をかけるという点で言えば、アリスにはもう迷惑をかけてしまっている。嫌な顔すら見せずに世話をしてくれているが、そんな義理はどこにもないのだ。魔理沙だって同様だ。突然他の世界からやってきた人物の面倒を見る義理や必要性なんてまったくない。 「……」 「……」 1分、は経っただろうか。圧迫感に耐えながら、しばらくそのままの状態でいると、魔理沙がこちらを見下すように冷笑した。 「どうしたんだ、何も言わないのか? しゃべる事くらいはできるはずだぜ」 言われて、少し口を動かしてみる。……確かに、しゃべる事はできそうだ。 「つまり、『邪魔だからとっとと帰れ』と?」 「分かってるじゃないか。で、返答は?」 まぁ、ここで頷いておけば、魔理沙もこのまま引き下がってくれるだろう。俺をどうにかしたとしてもメリットがない。逆に、否定すれば、身体の自由を奪っている俺をいたぶる事だって余裕で可能だ。 さて、現状を踏まえた上で答えを返すならば…… 「答えは変わらず。『しばらくは帰らない』、かな」 それを聞いた魔理沙がうざったそうに舌打ちをする。 「状況が理解できてるのか? そんな事を言える立場じゃない事くらい分かるだろ」 …………ふーむ。 確かに、身体が動かせないのはつらいし、体調悪いと言うのに、なにか押し付けられているような圧迫感はさっきから強くなってきているしと、非常に状況はよろしくない。開放してもらいたいのは確かだ。 「魔理沙」 この状況を終わらせるために俺は口を開く。 「お、気が変わったか? 素直に帰ってくれるんなら手荒な真似はしないぜ」 ニヤリ、と口の端を僅かに上げて笑う魔理沙に、正直に言う事にした。 「ありがとう」 「…………は?」 よほど予想外だったのか、俺の言葉を聞いた途端、間抜けな声を上げる魔理沙。 「何言ってるんだ? 頭おかしくなったのか?」 酷いなオイ。 とりあえず、言う事はいったし、俺はそのまま目を閉じた。気が付くと、身体の自由はまだ戻っていないようだが、先ほどまでの圧力らしきものは消えている。楽になった事を確認して、大きく息をつく。このまま眠ってやろうか。っていうか、いいかげん、身体もしんどいというのに付き合うのに飽きた。 「いやいや、何故そこで寝ようとする。訳わかんないぜ。つーか起きろ寝るな。そんな勝手な事は私が許さない」 「やっぱり自分勝手なのはそっちだと思う」 仕方ないので、寝るのはやめにする。おでこをベチベチと叩き続けられては寝るに寝られない。 「本当に訳わかんない奴だぜ。熱でちょっと頭おかしくなったか?」 それも鏡見ろと言い返したい。 「そんなに変なこと言ったっけ?」 「言った言った。自分で説明するのも嫌だが、私はお前の身体の自由を奪って、脅迫したんだぜ? 何でそこで『ありがとう』なんてお礼が出て来るんだ」 いや、だってそれは。 「警告してくれたんだよな? 幻想郷は危険なところだから、舐めてかかってると怪我するぞって。別にお礼を言って変な場面だとは思わないけど」 魔理沙が目を見開いて驚いた表情のまま硬直している。あ、ちょっと面白いかもしれない。 「……まいったな」 しばらくそのまま眺めていると、突然ため息をついて、俺の額の上に乗せられたままだった手をどけてくれた。指に力を入れてみると、思うとおりに動く。金縛りは解けたようだ。 魔理沙はベッドの脇においてあった椅子に、最初のように座ると、何が楽しいのかこちらを見てニヤニヤと笑っている。 「お前、結構面白い奴だな」 自分ではそうでもないと思う。魔法使いなんて奴と比べたらこれ以上ないくらいに普通の人間だ。間違いない。 「そういえば、お前起きた瞬間に私のことをすぐに確認してたよな、服とかスカートのポケットとかさ。あれ、武器とかを持ってないかの確認だったんだよな?」 「気付かれてたのか……」 見たといっても、一瞬だったはずなので分かるとは思えないのだが。まぁ、言い当てられたという事は、気づかれていたという事だろうけど。 「と言う事は、だ。そのあと、じーっとこっちの目を見てたが、武器の有無は関係なしで、それで問題なしだと判断したわけだ。勘もいいんだな」 そこまでバレていたのか。気付かれるほどじろじろと見ていたわけではないのだが。基本軽いノリな人みたいだが、こちらの自由を奪っていたときの様子や、この鋭さを考えると、侮れない人物である事は確かなようだ。 というか、そんな風に褒められると、なんかくすぐったい。 「確かに、そんな奴ならバレても仕方がないかー。しかし、そうなると余計なお世話だったかな、これは」 そう言って目を逸らして頭をポリポリと掻く魔理沙だが、俺はそうは思わなかった。 「そんな事ない。心配してくれるってだけでもありがたいよ。感謝してる」 「いや、お前、そんなに素直に言われると流石に照れるぜ」 本当に照れているのか頬が少し朱に染まっている。もしかして感謝されたり褒められたりする事に、実は慣れていないんじゃないだろうか、この人は。 「しっかし、冗談で済ます気でいたけど、その前に見破られるとはなぁ。全部確信してただろ」 「そうだねぇ。と言うよりも、それ以外に考えられなかったというか」 「どうしてだ? 会ってすぐの相手にそこまで確信が持てる理由は。やっぱり勘か?」 流石に俺もそこまで自分の勘を信じていない。 「いや、だって、アリスさんに頼まれてきたんでしょ」 あれが多少本音が混じっているにしても、単なる警告だというのは、すぐに分かった。なにしろ、魔理沙はアリスに頼まれてここにいるのだ。それに、アリスは俺に対して、帰るか残るかという、選択肢を与えてくれていた。加えて、立場としては、俺はアリスの客人だ。そんな俺に危害を加えたり、脅迫する可能性があるような奴なら、アリスが看病を頼むはずがないと思ったわけだ。アリスがそんなミスをするような人ではないだろう事は、昨日話しているだけで分かったし。 魔理沙の言っていた事が、すべてでまかせだという可能性は考えない。それこそ、アリスが、自分自身の研究成果が色々と保管されているこの家に、敵対するような人物が簡単に入ってこられるような状態にはなっていないだろう。結界とか色々と実在する世界みたいだし、何かしらの対策はしている方が自然だ。 「……それだけか?」 「それだけっていうか、十分だと思うけど」 「……」 何故か魔理沙が黙ってしまった。そんなに変な事を言っただろうか。何か考え込んでいるようだが。 まぁいいか。ついでなのでこちらからも一つ聞いておこう。 「一つだけわからない事があったんだけど、聞いていい?」 「お、なんだ?」 魔理沙が興味を持ったのかこちらに身を乗り出してくる。 「忠告してくれるにしても、なんでこんな方法で?」 警告してくる事自体は変な事ではない。先ほど俺は身体の自由を奪われていたが、ここ幻想郷ではあれくらいの事をしてくる奴も珍しくないのだろう。魔法使いや妖怪なんかがいる幻想郷で、軽い気持ちで滞在しようとしていると思われたならば、そこを注意してきても不思議はない。 だから、何でこんな回りくどいというか、趣味の悪いやり方をしたのか、それだけがちょっと分からなかったのだ。 「なんだ。そんなの決まってるぜ」 俺の問いかけに対し、魔理沙は自己紹介をしたときのように、口の端を上げニヤリと笑う。 そしてこう言い切った。 「そのほうが面白いからだ!」 やっぱりコイツ自分勝手だ。 ……まぁ、でも。 「はは……」 自然と声を出して笑ってしまう。 「おいおい、何で笑うんだ」 「いや、まぁ。訳もわからないうちにいきなり幻想郷に連れて来られて、どうしたものかと思ってたけど、運だけは良いみたいだな、と思ってさ」 アリスといい魔理沙といい、幻想郷に来て最初に知り合えたのが彼女たちでよかったと思う。それこそ、いきなり襲い掛かられてもおかしくない場所で、今こんな風に落ち着いていられる自分の幸運には感謝したい。 「いい人と巡り会えたなって事だよ。……性格に多少問題ありそうだけど」 魔理沙が首を傾げていたので冗談交じりに補足しておく。 「私の性格のどこに問題があるって言うんだ…………よ」 魔理沙が俺から視線を外した。 「冗談で人のことを脅迫する辺りとか。その演出のためにアリスさんのグラスを割ってしまう辺りとか」 「げ」 今思い出した、とでも言うように魔理沙は顔をしかめた。ノリで行動してしまう人なんだろうなぁ。どこか憎めない辺りは、人柄のおかげだろうか。それより、割れたグラスの破片も片付けないといけないな。放置してたら危ないし。 「おい、直葉」 突然、魔理沙が声を上げた。俺が返事をする前にぐいっと顔を寄せてくる。 「え、ちょ、なに」 「ちょっと黙ってろ」 目の前に魔理沙の顔がある。近すぎる。とはいえ、顔を引こうにも寝たままの俺にはそれもできない。 「近い。近いって」 俺の抗議も効果をなさない。それどころか魔理沙の顔が近づいてきているような気がする。少し俺が顔を上げればキスすら出来てしまう距離だ。無駄な努力だと分かっていても頭を後ろに下げようとして枕に後頭部が埋まっていく。だがそんな事で距離が稼げるはずがない、すぐに動けなくなる。ピタリ、と魔理沙の顔が鼻先で止まった。 至近距離で魔理沙と見詰め合う。視線を外す事すらできない。……はっきり言って何考えてるのか全然わからない。どうするんだこれ。自分でも脂汗をかいているのが分かる。 「……」 「……」 「……」 「……」 ガチャリ。 そのままの体勢で10数秒。いい加減テンパってきた俺がヘッドバットをかます直前、その音が聞こえた。なんだかよく分からないが、助かったような気分になって音の聞こえた方に顔を向けた。 「…………」 アリスがドアを開けたままの姿勢で固まっていた。 今の俺の状態を確認してみる。ベッドに寝ている俺、その上に覆いかぶさるような体勢をとっている魔理沙。二人の顔の距離。……何をどう解釈してもキスの直前にしか見えない。 「ア、アリス……さん?」 俺が声をかけた瞬間、時間が動き出したかのようにアリスの目が泳ぐ。そのまま部屋の中を視線が巡り、しばらくしてから俺のそれとぶつかった。アリスが口を開く。 「ごめんなさい。お邪魔だったみたいね。ごゆっくり」 そのままバタン、とドアを閉めた。 「いやいやいやいや! ちょっと待ってアリスさん入ってきてー!!!!」 俺の必死の言葉を聞き入れてくれたのか、アリスがドアを開け入ってくる。見ると、アリスの肩上辺りに人形が一体浮いている。その手には一つ、人形自身の大きさに近いほどの紙袋を抱えている。必死になって抱えているような感じがして、どこか微笑ましい。中身は取りにいったという薬だろうか。 「私は別に何も見なかったし、遠慮する事なんてないのに」 俺と目を合わせてくれない。 「いや、ちょっと待って! せめて話は聞いてください。まじで。お願いしますってば!!」 声を出すと頭に響くとか言っている場合ではない。とにかく誤解を解かなければならない。アリスなら説明すればすぐに理解してもらえるだろう。 つーか、魔理沙は何でこんな事を。 そう思い、魔理沙のほうを確認する。何故かベッドに突っ伏した体勢のまま動かない。 いや、よく見たら肩をピクピクと痙攣させながら腹を抱えていた。 …………殺すか? そんなふと頭によぎった思考は置いておき、俺はアリスに説明を開始した。 「さっきのは、別に何かがあったってわけじゃなくて、魔理沙がいきなり『黙ってろ』とか言ってきて……」 困った。これ以上の説明のしようがない。 「……なるほど」 俺がどうやって補足しようかと頭を悩ませていると、アリスが呟いた。そして今だベッドに突っ伏したままの魔理沙のほうへ目を向けた。 「魔理沙、あなた病人をからかって何がしたいのよ」 どうやら俺以上に正確に事態を読み取ってもらえたようだ。 魔理沙がようやく身体を起す。そしてとぼけた口調で嘯いた。 「別にからかってなんていないぜ。何を言ってるんだ?」 じゃあ、その今にも笑い出しそうに引きつった頬は何なんだ。突っ込みたかったが、収拾が付かなくなりそうなのでアリスに任せて黙っておく。 「私は『看病』を頼んだはずなんだけど?」 「ああ、だから『看病』してたぜ。つらい気分を和らげるのも看病のうちだろ?」 魔理沙の言う『看病』は俺の知っている『看病』とは違う意味の気がしてきた。 アリスは言葉も出ないかのように頭を抑えてため息をついている。それを見て魔理沙が何かに気が付いたかのように声を上げた。 「お、まさかアリス。もしかして直葉に嫉妬してるのか? 心配しなくても大丈夫だぜ、私と直葉は別になんでもない」 当たり前だ。と言うか俺に嫉妬って何だ。それではアリスが魔理沙のことを好きみたいな事になってしまう。…………いや、冗談だよな? 「意味が分からないわね。何で直葉に嫉妬しないといけないのよ」 冷たく言い放つアリスに、魔理沙は心底意外だった、とでも言うような表情を作る。 「あれ? 違ったか。じゃあアレか、私に嫉妬してたのか? 別に直葉を取ろうなんて思ってないから安心しろよ」 何でだよ!! 「それこそ何でよ! ていうか嫉妬してるっていう前提から離れなさいよ!!」 俺の心の叫びとアリスの声が見事に一致した。 それをまったく気にしていない様子で魔理沙が立ち上がる。 「いやいや、別に照れなくても良いんだぜ? 随分と直葉のこと心配してたじゃないか。そういうのアリスにしては珍しいぜ。ま、私には分かってるから何も言わなくていい。邪魔者は消えるぜ」 一息でそんな事を言うと、帽子と箒を手に取り、俺に近寄り顔を寄せてくる。そしてアリスに聞こえない程度の声で呟いた。 「直葉、しばらくアリスの事しっかり見ててやってくれ」 「え?」 「じゃあな」 俺が何の事か聞き返そうとする前に、あっという間に部屋から出て行ってしまう。アリスと俺はその様子をあっけに取られたまま見送った。 まったくもって嵐のような人だった。 「あ……と。言い忘れてたけど、アリスさん、おかえりなさい」 しばらく魔理沙の出て行ったドアを二人で眺めていたが、我に返って声をかける。アリスもそれで元に戻ったようだ。 「ええ。ただいま」 「……」 「……」 沈黙が痛い。とりあえずなんか喋らねば。 「えっと、アリスさん、薬を取りにいってくれたって聞いたんだけど」 「ええ、そうよ。魔理沙から聞いたのね。……ああ、でも魔理沙の言う事はあまり真に受けないように」 そう言ってアリスが苦笑する。アリスも苦労させられているのだろうか。 「それはちょっと話しただけでよく理解した。まぁ、滅茶苦茶言うけど、実はよく考えてるってのも何となくわかった」 「へぇ。この短時間でよくそこまで理解したわね。本当、破天荒な性格をしてるし、派手好きな所があるけど、結構鋭かったりするから、余計に面倒なのよね」 俺とのやり取りだって、最初はアリスのお客さんだと俺は認識していたのだが、魔理沙の冗談のおかげで速攻でタメ口に変わってしまったし。今思えばあれも堅苦しいのが嫌いな魔理沙の策略だったのではないかと思える。俺に対する警告も言わずもがなだ。素でああなだけかもしれないが。 …………ということは、さっきの誤解を招くような行動も何か意味があったということだろうか。 「まぁいいわ。魔理沙と話してたんなら疲れたでしょ。薬を飲んでしっかり休みなさい」 アリスの肩の辺りにずっとフヨフヨと浮いていた人形が、こちらに移動してきて紙袋を手渡してくれた。中身は予想通り、薬だったようだ。 「ありがとう」 思わず俺がお礼を言ってしまうと、人形が、ふいふいっと首を振り、そのまま逃げるようにアリスの背中に隠れてしまう。……まるで生きているようだ。 「あ」 そのとき視界の端に移るものを見た俺は声を上げてしまった。 サイドテーブルの上、割れてしまい、もう本来の役目を果たす事のないグラス。それを見た瞬間、先ほどの魔理沙の不可解な行動の理由に思い至った。 「あんにゃろう……」 思わず苦い声が漏れる。 誤魔化して逃げるためかよ!!!! 実はお気に入りだったらしいグラスの末路に気づき、とんでもなく不機嫌になったアリスをなだめる役目は、どうやら俺がやらなければならないようだった。 =================== 第3話です。マリアリは……別に好きでもなんでもない。いえ、嫌いでもないのですが。 というよりも、アリスが魔理沙を「好き好きー」な状態が違和感ありすぎてどうしようもないだけだったりもしますが。まぁ、ここからしばらく魔理沙の出番はありません。ゴメンね。 それにしてもこの3話は難産でした。ほのぼのダラダラを気長に書くのがやっぱりやり易いですよな。 |
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